涼風を待つ

朴の木のゆたかな蔭の秋の風

背が高い木である。

葉っぱも広く、まるで笠のように頭上に覆いかぶさってくる。
毎日こう暑くては、つい大きな影を探しながら歩くことになる。
桐の木も同じような影を作ってくれるが、どういうわけか川鵜とか、鴉が枝や幹を駄目にするほどコロニー化することも多く、ちょっとその下で休む気はしない。
冷たいものを飲みながら涼風を待つ。毎日そんな日が続く。9月も尽きるというのに。

いまだに夏か

ゆきあひの雲のひとつに鰯雲

羊雲というのだろうか。

朝からぷくぷくとした雲がいくつも湧いて東へ流れている。鰯雲と同じくこの種の雲が空にあるときは天気が下り坂にあると言うことだが、すでに台風の予感をはらむような空である。
それにしても今日は暑かった。夏に戻ったような感すらある蒸し暑さで、夕方にはとうとう冷房を入れてしまった。

気分上々

平群谷割れて水澄む眼下かな

平群谷を通るたびに句が生まれる。

掲句もその一つ。
同じ電車に乗っても詠める路線とそうじゃない路線があり、近鉄生駒線は前者のひとつ。
それだけ窓の外に自然があるということだ。断層が作ったと思われる深い渓谷が生駒市と平群町の境目あたりにあってちょっとした渓谷美を見せている。それが窓の下にのぞく時間はほんの瞬間だが、秋がいちばん風情がある。今は水に目が向くが、やがてはそれにかかるいろとりどりの紅葉に目が留まる。
月末で稿提出が迫っているが、いくつか寄与しそうである。

今日は結社誌の発送日。読者よりちょっと早くだけ内容を知ることができますが、久しぶりの雑詠五点で気分は上々。

金と銀と

控へ目といふもこの香は銀木犀

ここ数日庭に出るとかすかに甘い香りがする。

風向きによるのだが、風下になるときしか香りが届かない。
いわゆる、一般に木犀と呼ばれる「金木犀」に比較して「銀木犀」の香りは控え目だからである。
昨日はいつもの散歩コースでそこはかとなく漂う甘い香りに思わず周りを見渡したが発見できずじまいだったが、今考えるとあれは間違いなく木犀のものだったのだと。
地方によってはまだのところもあるようだが、当地はすでに木犀日和、木犀の季節となった。

滞空時間

きちきちの跳ぶより飛んでみせにけり

傾いた日にきちきちばったの翅が透けて輝く。

よく手入れされた野芝の広場を、滑るように飛んでゆく。
あっという間の出来事だが、不思議に脳裏にあざやかに残る飛翔である。
きちきちには、

きちきちといはねばとべぬあはれなり 富安風生

という名句があるが、今日目撃したのは無言であった。その分だろうか、滞空時間がえらく長いように思えた。

猫肥ゆる

三輪山へ雲の一掃き秋高し

ひさしぶりに空が高かった。

午前中、西から川のように蛇行する雲が入り込んできて、東の三輪山の方向へゆっくりと流れてゆく。
空は文字通りの紺碧。
それらの雲が刻々姿を変えながら流れてゆくのを眺めたのは、五、六日前に迷い込んできた子猫の検査を受けるためクリニックの外で待つ間のことだ。
さいわい猫エイズなどの検査結果は陰性で、あとはいかに先住猫と慣れさせてゆくか。わずか450グラムの子猫にくらべ、先住猫どもはその10倍以上もあってあらためて大きい。
栄養不足のためか、やせている子猫の食欲は旺盛で猫肥ゆる秋となればいいが。
そう言えば、外猫のみぃーちゃんは秋の荒食いでちょっとふっくらしてきた。

丸々と

入会の墳丘まろき竹の春

盆地に許多ある古墳の多くが竹林と化している。

ほとんどが人の手が入らず荒れ果てたままだが、なかには昔から地域の入会地としてよく手入れされて明るい竹林を見ることがある。ここでは、かつては薪や山菜などを採ったりしたに違いないが、今では竹林を養生して筍を採取するのが主となっているようである。
太い孟宗竹が伸び伸び伸びて丸い丘を形成している姿は美しい。