溶け込む

峠まで花の名残を惜しみけり

里の桜はおおかたは終わった。

というので、少し高いところに登ればまだ花が残っているかもしれないと、大阪方面に出かけた帰りは竹内峠を越えることにした。狙いはずばり当たり、峠近くの桜は満開が過ぎたとは言えまだまだ楽しめる状況。こういうのを残花と言うのかどうか知らないが、名残の桜もなかなかいいものである。
山全体を見てみれば、終わりを迎えた山桜が今しも新緑の山肌に溶け込んでいくばかりで、やがてそこに桜の木があるとは誰も分からなくなるにちがいない。

蛙股池に囲まれて

新入生美しき校名胸はって

学校は周囲を池と丘に囲まれていて、鶯などの囀りが賑やかだ。

さらに、池のほとりには桜が植えられており花びらに包まれて登下校できる恵まれた環境。
真新しいランドセルを背負ってやってくるのを捕まえて校名を尋ねると、「あやめ池小学校」といういかにも伝統ある美しい名をはっきりと大きな声で答えてくれた。

散りしいて

花屑をかしこにタイヤ回りたる
花屑の無垢悲しけれ雨上がる

雨が上がり、花が道路に散り敷いている。

車のタイヤにも、靴の裏にも、道路をゆくものには花びらがひたひたと着いてゆく。

帰ったあとは

鳥引くや水面乱する魚の影

昼頃雨が止んだので馬見丘陵へ。

中心にある大池は渡り鳥がいろいろやってきて探鳥する人が絶えないが、さすがに鴨たちは旅だったようである。つい先頃までは賑やかに羽をうつ水音が聞こえ幾種類もの鳴き声も聞かれたが静かなものである。
水面を騒がせるものはと言えば、鯉などが時折はねたり、尾びれを水面からだしたまま浅瀬をのたくるくらいのものだ。そう言えば鯉の乗っ込みも間近い。

もう一つの名物

参道の草餅食むも功徳なれ

長谷寺の参道に草餅屋が並ぶ。

これを食べないとお詣りした気持ちは半分、何かしっくりこないから不思議だ。
参道に住み古りた句友宅に立ち寄れば、出てくる茶菓子は決まって草餅の焼き餅である。

長谷寺と牡丹は有名だが、長谷寺と草餅もまた切っても切れない。

桜のある景色

一夜にて景色変へてみせ桜散る

朝目覚めて対岸の丘に目をやると景色が一変していた。

前日までの桜が一度に散らされたようである。
これで、大和盆地の桜も見納め。次は吉野か、高遠か。

昔かわらぬ味

見覚えのある包装紙桜餅

包装紙をみただけで分かる。

お土産にいただいたお菓子は故郷の老舗のものだ。
この色、この香り、この味。
素朴だが、他に代えようがないものである。