春霞

二上は見えて葛城かすむ窓

ここ連日、麻起きると霞がかかっている。

家からは何とか二上山の姿は見えるのだが、その先の葛城、金剛山がはるか霞の中だ。
まことに春霞とはよく言ったもので、雨の日以外で葛城山が見えない日が二日以上続くのは春だけだ。

旅立ちへ

十八へ眼差しぬくし住民課

いま住民課窓口が混み合っている。

転勤、進学、就職など人生の節目の時期である。
なかには、他府県への進学だろうか、転出届け出にきた不安そうな親子にも住民課窓口が丁寧にやさしく対応している姿が印象的であった。
思い返せば、半世紀も昔、自分の18歳は受験失敗から予備校入学までの準備に忙しくて卒業式にも出られなかった慌ただしい思い出しかないのがほろ苦い思い出だ。

住宅地の黄花

新興の向こう三軒山茱萸黄

遠目にも黄がはっきりとかかっている。

昨日ふれた隣の住宅地。近寄ってみると山茱萸の花だった。時期的にはもう遅いと言ってもいいくらいだが、花の期間はわりあい長いようだ。春の先駆けを代表する黄花であるが、秋には秋で真っ赤な実が楽しみ。

法面で

山裾を拓きしなぞへ黄水仙

住宅地を上へ上へと登ってみた。

隣町は斜面一面が碁盤のように区切られて、低いところから順に一条、二条という風に通りの名前がつけられ、高いところでは十一条まである。さらに、後から開発されたのだろうか、その上に上一条、上二条という通りもあって、この辺りから見下ろす奈良盆地の景色はなかなかのもの。自宅は八幡さんの森のかげになっているので見えないが、はるか下の方である。
こういう傾斜地というの法面がいたるところに顔を出していて、その法面を利用した植樹や植栽も目を楽しませてくれる。
今日は、誰も採らなかったのだろうか蕗の薹のすでに薹が立ったのも発見したり、あのおちょぼ口のような見事な喇叭を見せてくれる黄水仙が日だまりに群れているのも楽しむことができた。

芽吹く音

山笑ふ耳をすませばふつふつふつ

折口の「死者の書」のオノマトペが強烈だ。

「した した した。」
二上に埋葬された大津の墓の中を滴る音。
「した した した」と微かに響くコンケーブを抱いた二上山を今日間近に見てきたが、山全体が「ばあーっ」と膨張するように迫ってきた。いっせいに芽吹きが始まった山は、まるで泡のようにふつふつと沸いてくるようで、もはや地下の滴りの音は耳には届かない。

野の花

遙かにも来て歩を緩め花なずな

野は春の花がいっぱい顔を出している。

ヒメオドリコソウ、ホトケノザを筆頭に犬フグリ、タンポポも、そしてペンペン草も。群生しているところには私だけではなく、多くの人が足をとめて眺め入っている。
何でもない花ばっかりだけど、春がうれしくてしばらくそうしていたい気持ちにかられた。

可愛い狼藉者

梅の花鳥の狼藉なすままに

風もないのに枝垂れ梅の花びらがパラパラと散っては根元に赤い花びらがつもってゆく。

どうやら満開の枝隠れに小さな鳥が来ていて、蜜を吸うのに余念がないようである。目をこらすとどうやらメジロの番らしい。午前中に一回、午後にも一回来てそれぞれかなりの時間花から花へとわたっている。
狼藉者とは言っても可愛い狼藉者である。