ボトルメール

貝寄風の瓶の手紙を持ちきたる
貝寄風の届ける瓶の便りかな
貝寄風の足許さらふ砂丘かな
一夜さの貝寄風なせる砂丘かな

「貝寄風」は関東の人には馴染みが薄いかもしれない。

という私すら歳時記で初めて知る季題である。
ホトトギス歳時記によれば「大阪四天王寺の聖霊会(陰暦2月22日)の舞台に立てる筒花は、難波の浦辺に吹き寄せた貝殻で作るというところから、この前後に吹く西風を貝寄(かいよせ)という。」。冬が終わり、春に吹く強い西風と解釈してよいだろう。
舞台の筒花という写真がないかウェブでいろいろ検索したがどうもヒットしない。だから、今でも貝殻で作っているのかどうか、これは実際の聖霊会(今は4月22日)で確かめるしかなさそうである。住吉さん、四天王寺とも今までお参りしたことがないので、今年あたり行ってみようかと思う。

行くもの残るもの

引鴨の水脈を重ねる番かな
水脈とけて番の鴨の引く構え

平城京跡は野鳥観察の聖地である。

一歩足を入れた途端雲雀の声が聞こえるが、敷地が広すぎて一体どこで鳴いているのかさっぱり検討はつかない。さらに中へ入ってゆくと、大砲のような望遠鏡を抱えた人たちが大きな木を指してシャッターチャンスをうかがっている。どうやら葉隠れにアリスイがいるらしいが老眼ではよく見ない。
一行と離れて大極殿へ。拝観料など取らないのがいい。白虎の方向に生駒、青竜の方向には三笠山がよく見えるが朱雀の方向にある吉野の山は霞でよく見えない。

玄武の方角、佐紀の辺りは古墳が散在しているが、同時に大小の池が多い。そろそろ鴨の帰る頃だから確認に行ってみると、はたして帰る準備と思われる番の鴨たちが水脈を引いているのが散見された。あと一ヶ月もすると大方の水鳥たちは姿を消す。野鳥観察会も帰る鳥の観察に忙しいシーズンである。

習作

穴出でし蛇を悪童いたぶりぬ
穴を出し蛇の行手を占めてをり

難しい季題だと思う。

単なる蛇ではなく冬眠から覚めた蛇の様子を詠めというのだが、コンクリートで固められた都会生活に馴染んだほとんどの人はそんな蛇に遭遇したことはないだろう。
結局、想像をたくましくして「そんなこともあるだろう」と思われる情景の句を生み出すしかない。

習作二句、決して成功しているとは思えぬが。

尊厳と誇り

蒲公英や仮設暮らしを強いられて

三回目の3・11忌である。

もう4年たったのだから国家予算に頼らず自助努力で復興を成し遂げよと言う閣僚も出るに及んでは、リーダーの「被災地に寄り添う」とのメッセージもどこかむなしくうつろに響く。
遅々として進まない被災地の復興。現地の人の尊厳と誇りを第一に優しく包み込む施策はこの先も欠かせない。

放逐されたものたち

啓蟄や六畳の間の盆鉢に

先月から虫が活動を始めている。

室内に入れた鉢に冬眠していたのが、天気がよくて室温が高くなるとボツボツ出てくるのである。目覚めたとき、あるいは寝ようと思ったときに壁やベッドに這いつくばっているのが目立つようになる。
とくに厄介なのがあのカメムシで、箒で掃いたりしては退散いただく日が続く。

この3月を待たず外に放り出された虫たちのその後は杳としてしれないが。

部屋咲き

君子蘭房の先より緋を灯し

冬の間部屋に取り込んである君子蘭の花芽がいよいよ伸びてきた。

早いものはふっくらした房の先端から色づいてきている。まもなく花弁が開いて炎のような花が咲いてくれそうだ。例年なら部屋に取り込むのを遅くしているのでこの時期はまだ蕾すら見せないのだが、今年は部屋で暖かくしていた時間が長かったせいだろう、世間並みの時期に咲きそうだ。

20年ぶり

侮りて思いの外に春の風邪

3日ほど前から喉が痛かった。

家人は花粉ではないかと言うが、この痛みはやはり風邪によるものだとは思っていた。のど飴などでだましだまし過ごそうとしたのだが、徐々にひどくなってきて嚥下するのも辛くなってきたのが昨日。今日は吟行の日なので昨夜はマスクをしたまま早めに寝たのだが、起きてみるとどうもふらふらして声を発するのも辛いとなってはもう欠席するしかない。

風邪でまる一日寝込むというのは実に20年ぶり。さては油断があったか。
夕方までたっぷりベッドで時間をすごし、夕食はおかゆ。食欲はあるので明日はもう大丈夫だとは思うが。