駄菓子屋の戸を引き開けて春闌ける
「チャイルドハウス」?
ある駄菓子屋の看板である。
見たところ子供たちの影も何も見られないし、だいいち店主の姿さえない。
子供たちも減り、その少ない子供たちもゲームに夢中だったりで家に閉じこもっている昨今、もはや子供相手の駄菓子屋というのは成り立たない商売なのかもしれない。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
駄菓子屋の戸を引き開けて春闌ける
「チャイルドハウス」?
ある駄菓子屋の看板である。
見たところ子供たちの影も何も見られないし、だいいち店主の姿さえない。
子供たちも減り、その少ない子供たちもゲームに夢中だったりで家に閉じこもっている昨今、もはや子供相手の駄菓子屋というのは成り立たない商売なのかもしれない。
おまえさんの寿命如何ほど庭蛙
蛙の寿命はいったい何年くらいなんだろうか。
春先に庭で蛙の声を聞くといつも思うことだ。蛙は冬眠する動物だと聞いているので、春先に庭で鳴いているのは越年したやつのはずだ。
引っ越して以来1匹が去年には2匹になって、庭の鉢などに雨蛙が棲むようになった。如雨露で鉢に水遣りしていると、鉢の中から慌てるように飛び出したりてくるのが可笑しい。やはり、激しい雨は苦手のようで、軽い雨模様の時などはよく鳴いているのだから。
もうすぐ庭に鉢を下ろす時期が来た。また、鉢の中などに潜り込んで時々慌てた滑稽な姿を見せてくれそうだ。
満天星の花ほほけらす晴間かな
今年はドウダンツツジの花がいっぱいついて楽しめた。
毎日見ていると分かったのだが、花と葉の新芽とは入れ違うように入れ替わってゆくようだ。端境期というのは、白い花がみるみる広がる葉の陰になっていき次第に色褪せてゆく。鮮やかな主役交代の様子を今さらながら初めて見るような気がした。
このままさらに葉が大きく広がるともう春惜しむ候となる。
食べきれぬままことごとく葱坊主
ものにはほどがある。
昨年暮れに初めてネギの苗を買ってきて畑に植えたのが、春になって食べ頃を迎えたのはいいが、株が多すぎたようで、採っても採っても次から次へと大きくなってくる。
だいたいがネギというのものは、薬味とか、多くてヌタの材料くらいしか使わないので小家族なら一株もあれば十分だったのだ。
つぶしてははしゃぐ子もゐて石鹸玉
今日のNHK俳句番組を見ていたら兼題が「石鹸玉」だった。
新年度に入り岩岡さんに代わって、「群青」主宰の櫂未知子氏があらたに担当になったようだ。氏はこの番組を通して現代では忘れ去れようとしている季題を扱うと言ってるのが面白そうである。さらに、我が属する俳句会と違って、口語表現などを駆使した新しい句を詠む人なので新しい世界の期待もある。
で、さっそく我もまた。
今日もまた古巣のままに暮れにけり
昨年あれほどたくさんの子が巣立ったのに。
今年はまだだれも巣の手入れをしようとしない。
ほかにもっといい場所でも見つけたのかな、それとも。
身をかがめ歌碑の文字追ひ人麻呂忌
歌聖と言われるくらいの人だから、各所に歌碑がある。
そのたびに、顔を近づけて文字を読もうとがんばってみるのだが、みなさん達筆であったり、なかには万葉仮名で刻まれていたりするのでなかなか難しいものだ。