市名の由来は

桜の井一夜で埋む芥かな

古井戸に降り敷く花の吹雪かな

桜井の井に花散りぬ花の散る

落花掃く人の未だに来たるなし

落花掃く能はぬなりし雨やまず

庭掃くを躊躇ひをりて花の散る

櫻の井

桜井駅を南に向け出発すると10分も行かないうちにそれはあった。

「櫻の井」跡。
夜来の春嵐で井戸に懸かる桜が一面に花を落とし、いわれが彫られた石碑も例外なく散った花びらをまとっている。
5世紀初頭第17代履中天皇がこの地においでになって、桜の花が散りかかるこの井戸の水を賛美されたということから「櫻の井」と呼ばれている。

盆地を流れる

国ン中を鎮め大和の花筏

日曜日の嵐で大方の桜は散ってしまった。

翌日、花筏を見ようと大和川に出たのだが、あまりに激しい風雨にすべてが既に下流に流されてしまったのかどうか、わずかの痕跡しか見ることができなくてがっかりした。それに引き替え、昨年はそれこそ声に出して興奮するほど、幅80~90メートルの川面全面が花びらに埋まったまま大いに流れていくのを目撃できたのだが。

考えてみれば、国中(くんなか)と呼ばれる大和盆地を走る支流すべてはこの大和川に合流し、国中いっさいのものがこの川から県外大阪へ、そして大阪湾へと流れていくのである。大和川の花筏というのは、国中じゅうの花という花を集めた大和そのものの「花筏」なのだ。そしてこれを限りに大和の里は静けさを取り戻していく。

春嵐の歩く会

葱坊主音羽の山と競ひをり

葱坊主授かりしもの透けてをり

倉橋神社から音羽山を
昨日は桜井市の市民団体の主催による第50回 鎮守の森を観に行こうかいに参加した。

今回は「桜井から鳥見(とみ)山周遊へ」ということで前半は古社・等彌(とみ)神社宮司さん、後半は忍阪地区区長さんの案内で、神武が大和平定したあと初めて行われた大嘗祭の聖跡とされる鳥見山の周りを時計の反対まわりに一周しながら、山裾部分はすべて古墳群といわれる各集落の氏神さんをめぐり、倉橋、忍阪(おっさか)を経て隠国(こもりく)のとば口朝倉までという古代万葉巡りのコースである。
鳥見山は先日行った安倍文殊院の東の方向にあり、まず最初に立ち寄った若桜神社西座は東北の大将に任じられた安倍氏祖神を祭神とされているそうで、ここにも2,3年前ほどに現安倍総理がお詣りしたということだ。
朝8時半から午後5時までという長時間、途中下居(おりい)神社への急坂にあえいだりするシーンもあったが、山をくだったら倉橋で音羽(おとば)山が真向かいに見えて元気をもらったり、弁当を食べて元気を回復したあと、現在唯一入山が許されている天皇(崇峻)墓とされる天王山古墳の玄室に探検気分で潜ったり、忍阪の里では最古の石仏・薬師三尊仏さんに出会ってほっこりしたり、鏡王女の墓で額田姉妹を偲んだり、荒れる春嵐などすっかり忘れてしまうほど夢中で歩いた一日だった。

写真は下居神社から下ってきて倉橋神社から。山は正面が高さ851メートルの音羽山、談山神社があるところである。右にわずかに山裾の見えるのが多武峰北端で、舒明天皇「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも」(万葉集巻8−1511)で知られる小倉山であるという説あり。
犬養「万葉の旅(上)」(平凡社ライブラリー)の36ページにある「倉椅(くらはし)山」とは音羽山という説がある。この山にはさらに仁徳帝時代の悲恋話もあって調べれば調べるほど古代への思いを深くしてゆく。

協定

春愁やかたぶきをりぬ家の守

春愁や思ふにまかせぬ家普請

傾いた格子戸

通りからこの家の見える表部分は今にも崩れそうな具合である。

かろうじて倒壊を免れているのは、この表側のもたれるのを家の残りの部分が支えているからだろう。町が重要建造物群保存地区に指定されているため、歴史的な町並み維持のために各家は定められた建築基準に従わなければならない。ただ、後継者のいる家はともかく、そうでない場合は外観を維持するだけでも大変な負担であることは想像に難くない。

景観維持

潜戸のみ付替へてあり燕来る

茶褐色の枠の中に白木のコントラストが目を引く。

長い年月馴染んだ玄関格子戸の潜り戸部分だけが真新しいのだ。町全体が建造物群保存地域になっているので、重要建造物に指定されてない民家であっても古い伝統を守るため、修理を加えながら街づくりに協力しているのだろう。

茶室跡で

椿守一輪活けて去りにけり

集落西の端に当時の様子をとどめる環濠が残されている。

内濠、中濠、外濠という3重に構成された堅固な要塞都市だったことが分かるのだが、訪れたとき落ち椿が壕一面に浮いており、蛙は鳴くは、羽化したばかりの水馬はいるはで、句材には事欠かない風情であった。
惣年寄だった今西家の茶室があったあたりは、壕に隣接した公園として提供され、杏、榎の初々しい芽が吹いたばかり。折良く公園管理を委嘱されている人がやって来られて、やおら公衆洗面所のペットボトルに、今を盛りに咲いているのを剪ってきた椿一輪を挿したとおもったらさっさと立ち去って行かれた。一連の動作はまるで毎日の日課でもあるように、挙措にまったくよどみがなく、何事もないがごとく済むのであった。