そんぼの柳

太子道柳芽吹ける蘇武井かな

環濠の東側飛鳥川沿いに、かつて集落の飲み水をまかなった井戸があった。

「蘇武井」(そぶい)と呼ばれる井戸は水清らかで日照りが続いても涸れることがなかったという。
聖徳太子が飛鳥と斑鳩を往復する道筋にあたっていたのだろうか、太子が駒をとめ給水されたとも伝わる古い井戸である。そばの石碑には「今井ソンボの朝水汲みは桶がもるやら涙やら」と歌の一節が刻まれており、毎朝水汲みをする苦労を歌っている。
一体は最近きれいに整備されて、井戸の傍らにあらたに柳が植栽されており、枝まで緑色した若い柳の芽がひときわ柔らかそうだった。井戸に柳というのは定番で、おそらくその昔も柳の枝が揺れる姿がみられたことだろう。

ちなみに、ここは自宅から飛鳥川伝いに飛鳥へ出る自転車道の道筋にあたっており、このあたりから川が東側におおきくカーブしながら飛鳥の里にのぼってゆく。

環濠集落

古町の暖簾括れる日永かな

中世から江戸期にかけて栄えた環濠集落の町・今井町で句会吟行があった。

満開の飛鳥川

駅を降りるともう花、花、花。
飛鳥川の両岸は川を覆いつくすほど満開。

今井町入り口の榎
おまけに、町の入り口では魔除けとされる樹齢400年を超える榎が新芽を吹いて迎えてくれる。
真宗の寺内町として興され信長にも抵抗したが、その後降伏ののちは商業に活路を見いだし、やがて大名貸しなどによってたいそう栄えた環濠集落全体が国の歴史的建造物保存地区に指定されており、多くの建物が重文となっている。今井の町家は決して華美ではないものの、厳しい町掟の枠で許される様々な意匠をこらした設えに特徴がある。

それだけに句材はいろいろあったのだが、ものにすることは難しいものだ。五句提出はクリアしたものの、今日も己の実力を認識する会となってしまった。じっくりブログで句にしていきたいと考えている。

祈祷寺の桜

春陰やほほ紅くかに童子像

境内500本の桜が満開だということで安倍文殊院に行ってきた。

安倍文殊院は切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三大文殊のひとつに数えられている。また安倍一族ゆかりでは大化の改新後左大臣となった開基・阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)をはじめとして、阿倍仲麻呂、安倍晴明などの人材を輩出している名門であるとともに、寺所有の寺宝、文化財も多い。
当の文殊菩薩さんだが、快慶作。この2月脇侍含めて一括で重文から国宝に格上げされたそうで、唐獅子にまたがって諸国を説法に出かけられているお姿をしておられる。雲海を越えて遠くまで、という意味で「渡海文殊」さんと呼ぶそうだ。

掲句は菩薩さんの脇侍のひとつ「善財童子像」(快慶作)で、両頬の塗装がはげた部分がまるで紅い頬に見えたりするのが童らしかったり、両手を合わせて歩きながら振り向く姿など、リアルでしかもあどけなさあふれる姿に心引かれるものがあった。菩薩さんに教えられた人に会いに行ってはひたすらその人に教えを乞い、やがては悟りを得た喜びを表しているということだ。

清明堂から耳成、二上
安倍晴明が天文占いをしたとされる場所に晴明堂が立てられていた。そこからは足元に「ジャンボ干支花絵」、桜に包まれた金閣浮御堂(仲麻呂堂)、遠くには耳成、二上の両山が望めた。夕方まで粘れば二上に沈む夕陽が見えたかもしれないが。

優しい雷

一度だけ鳴って終はんぬ初雷

閃光がしてあたりが一瞬明るくなった。

思わず家人と顔を合わせたら、続いてどんと雷鳴がする。家人はいそいで洗濯物の取り込みにかかったが、まさにその直後雨がバラバラっと降り出したので家人の判断は正しかった。10分ほど降り続いてやがて雨はやんだ。

春の雷の中でも「初雷」というのは立春の後最初になる雷を指すらしい。今日のは文字通り初雷だったのだが、春の雷というのは夏の激しいのと比べると随分優しいのかもしれない。

もっと咲いていたい

散りてなほ草にとどまる桜花

南天に乗った桜

遍照院の枝垂れ桜はさすがに散り始めた。

まだはらりはらりと舞うように落ちてくる程度で桜吹雪と言うほどでもない。なかには、枝の下の南天などの葉に乗っているいるものもあった。強い風など吹こうものならひとたまりもなく地面にたたき落とされるだろうが、桜としてもまだ散りたくないと言うのだろうか。

玉の露

花咲かす雨の止みたるしずくかな

雨がやんだので図書館前の桜を覗いてみた。

色の濃い紅枝垂れが一分咲きほどに開いている。よくみると降り残した雨滴が光っている蕾もある。温かい雨だったので明日は一気に開くかもしれない。

高楼

高階のさんざめきをり糸桜

満開時を狙って再び遍照院へ。

近づけば近づくほど話し声が大きくなる。高い位置にあるお寺さんからと思われるが、谷筋なので高いところで話す声はよけい響くのであろう。どうやらカメラ同好の士の会話らしく、本堂の方へ上がっても静かに見物できそうもないので下から眺めただけで退散することにした。