葛城の雲となる

春めくに腕の骸は冷えおりぬ

猫の逝くせめて手向けの蘭黄色

今日ほだかの葬式を済ませました。
大好きだった品々や六文銭を持たせて。
棺には咲いたばかりの黄色いカトレアも添えてやりました。

薄氷や荼毘の煙の雲となれ

霊園の池には薄氷も見られましたが、天気そのものは久しぶりに一日中晴れてくれました。
霊園は竹内街道そばでしたので、荼毘の煙が葛城山の雲となり、ほだかの魂も高くのぼっていったと思います。

葛城の 峰に湧きたつ 雲なるは
   愛しきものの 魂なるべし

合掌。

一転して

つぎつぎと光生まれる川の春

正面奥は明神岳で大阪方面。中央の橋は近鉄生駒線鉄橋。その右すぐに信貴山口駅があります。左が久度神社の杜。

太陽の位置が高くなった。
しかも、光の量が違うとこうも景色が変わるのかと思う。

写真は昨日のもの。
今日は寒が戻ってときどき雪が舞っていた。

内なる充実

ヒヤシンス目出し帽ごと防御かな

芽を出したはいいが、寒さ続きで首をすくめているようだ。

去年暮れに植えた球根が地面から顔を出したのが1月末頃。
以来、毎日少しずつは伸びてきたのであるが、ずっと背を低くしたまま花芽だけの充実を図っているようである。
奈良ではお水取りが終わらないと春が来ないというから、しばらくこのままの状態が続くのかもしれない。

待つ

三寒に四温待ちをる古木かな

桜という木は一度寒さを経験しないと花を咲かせないという。

今年は本格的な冬だったのできっと立派な花を見せてくれるに違いないと思う。
木を見ると蕾はまだ小さなままだが、これもやがて徐々にふくらみ始める。
それが何時頃になるのかを頭に浮かべるだけで、あるいはそれを発見したときの情景を思い浮かべるだけで心が騒いでしまう。

待ちわびるのは当然自分自身なのである。