実感

放棄田のさして荒れずに下萌ゆる

イヌフグリがぽちぽち顔を出してきた。

ホトケノザなどはすでに前年から咲いているが、ハコベ、ナズナなどもぼちぼち見られるようになった。こうなると春の草がつぎつぎに踊り出してきて野山は賑やかになる。
耕作放棄されているがセイダカアワダチソウなど猛々しい草もなく、いつでも耕作再開できそうな田のあちこちに草の若い芽を吹いてゆたかな土であることを示している。
寒い日が続くが着実に季節は動いていることを実感する。

再挑戦

あれこれと悩むもよけれ種選び

春巻き野菜の種第一陣を注文した。

とりおいてある種袋を見て不足するもの、新たに挑戦するものなど、あれこれ考えるのも楽しいものだ。
去年なかなかうまくいかなかったのは苗作り、あるいは植え時を間違ったことなどに原因があるので、捲土重来の種が多い。
昨年いくつかの種類は種を採ったのがあるので、本格的に種をまく前に試し蒔きしたのが今年最初の種まきとなった。とは言ってもこの寒い時期だ。普通に蒔いただけでは発芽しない。そこで人肌温室である。
キッチンペーパーなどを水に浸して種をはさみ、それをジップロックなどにいれてポケットで温める。
種類によって発芽日数はちがうが、早いものでは二三日で芽を出すものがある。
少しでも根がでたりしたらもうそれでオーケー。ピンセットなどでつまんでポットなどに移す。
今回はテストなので根が出ればオーケー。
三月上旬あたりがほんとのスタートになる。

動け

陽だまりに日数かさねて梅ふふむ

庭の白梅がふくらみ始めた。

今年はたいした手入れもしなかったのにけなげである。隣地に家が建って、半日は日が当たらないハンデを乗り越えていつも通りに咲いてくれそうである。
またどの木もまだ寒の剪定をしてなくて、12、3度くらいの暖かい日がきたら手をつけようと思っていているまに今日に至っている。
少しでも季節が動いてくれたらありがたいんだけど。

多事多端

春浅し接種をへての憂きこころ

春とは名のみ。

いっこうに春の気配をみせない毎日である。
暖かい日がくればやりたいことは山ほどあるのに、いっかな始められそうもない。
コロナもその勢いが鈍りつつあると言うが、感染者は増加中。PCR検査薬不足で一般診療の足を引っ張っていると聞く。こうしている間も重症者はどんどんふえていくようすに、ワクチン接種したとてどれほどの効果があるのもしれず不安が募るばかりである。

厳冬?

春立つや色豊かなるカタログ誌

通販のカタログに埋もれそうである。

何社からも届くが、衣類関係ではどれもすでに春物一色となっている。
季節に相応しい色にあふれていて、誌上ではもうすっかり春だが今年の冬はその兆しが全く見えない日が続いている。あるときは三寒四温のリズムに入るかと思えば、八寒九寒あるいはそれ以上寒い日の連続で、春近しとは到底思えぬ日々である。
この分では今月いっぱいは余寒を覚悟しなければいけないと思うと気が晴れない。今年にかぎっては暖冬という言葉は当たりそうもないのである。石油価格も高騰して雪国の悲鳴が聞こえてきそうである。

食べない麦

麦を踏む老のそびらの信貴の峰

食べるために育てているのではなく。

冬でも畝を空けない、草を生やして根を張らす、伸びてきたら敷草に。そんな目的で種を蒔いたのだが、今は6,7センチくらい。これを春までに何度かしっかり踏んで霜で浮かせない、腰を強くする、分けつを促すなどの効果を狙う。
一番の狙いは兎に角畝に草を生やして根を張ってもらう。その根には菌が棲みついて土を活性化してくれること。残った根はやがて腐って分解してくれる菌が増える。根が分解した跡は空気や水の通り道になり、新しい作物の根が張りやすくなる。いつまり畝を耕してくれるのである。
雑草も生えない畝は困るので、まずは麦を蒔いたのである。夏には枯れてくれるのでそのうえを西瓜や南瓜の蔓這い、あるいはサツマイモの茎が這う予定である。

緑陰の風情

代表句吾もせんとてへちま蒔く

役場で種をもらってきた。

夏のあまりの暑さに一度挫折した経験があるのでいろいろ悩んだ末、町の「ふれあい農園」を申込することにして窓口に行ったらグリーンカーテンにする朝顔、糸瓜、苦瓜の種を呉れるという。苦瓜、朝顔はいいが糸瓜はどうすればいいのだろうか。緑陰の風情を楽しむ以外に糸瓜水?台所スポンジの代用?これくらいしか思いつかない。
いずれにしろもらってきたが、どこへ植えるか。また新たな悩みがふえた。