地獄が待っている

奨学金残高前に卒業す

奨学金返済地獄に苦しむ人が多いと聞く。

我ら世代の国公立大授業料が年に12,000円程度だったのが、今では540,000円くらいになるそうだ。
学生二人のうち一人は奨学金を借り、卒業するときは数百万円もの借金が残るのが通常という。卒業しても、三人に一人は非正規雇用となると返済が滞ってしまう危険性は高い。
どうやら、奨学金の額も返済額もわれら世代の比ではなく、考えてみたら卒業後すぐに輸入車一台を月賦で買うようなものだから、正規雇用といえども厳しいに違いない。

苦学生という言葉は死語に近いが、「大学は出たものの」の世界はいまだ存在する。

団地サイズ

雛壇を知らぬ公団育ちかな

我らが団地と言えば公団で、2DKが標準だった。

畳の部屋はあるものの、規格も団地サイズというものがあって京間、江戸間とは別に公団間とも言われ、若干狭めである。
公団2DKとなると子供が生まれれば大変窮屈なもので、それこそ雛壇など設えるスペースなどは無理であった。
雛飾りもおのずからコンパクトなものになり、男びな女びなのセットを箪笥などの上に置いたりして、いわば置物同然であった。
一戸建てに移ってからも、おひな様はそのままで、やがていつからともなく飾ることさえ忘れられている。

ふてぶてし

一瞥をくれて再び恋の猫

家猫を飼っているせいか、今頃になると雄猫がうるさくやって来る。

ことのついでに、匂い付けもしていくので臭くて仕方がない。
トイレの砂などを入れた袋を外に置いておくと、そいつめがけてシュッと吹きかけていくのだ。
この時期の匂いは相当強烈で、すぐにそれと分かる。
で、対策として大きなゴミ入れのダストボックスのなかに、用済みの砂袋を格納するようにしたのだが、玄関脇などに置くのはどうにもみっともなくて仕方がない。かといっていちいち不便な場所に置くのも何かと面倒である。
この季節だけの辛抱かと思って、やり過ごす他はない。
そうこう言っているうちにも、不敵な顔をした雄猫がやってきて、人がいると知るとフンとこまっしゃくれた風に通り過ぎていくのがふてぶてしい。

しのぎ

腐葉土にものの芽出づる林かな
ものの芽の雑木林のしのぎかな

「ものの芽」とはいかにも俳句に似つかわしい言葉である。

草の芽でもなく、木の芽でもない。それらすべてを総称して、春に萌え出るものを言う。
何の芽と言わぬところに俳味が生まれる。
今日は、こんなものの芽もあるという写真を付けた。団栗の発芽である。殻を割った芽は、まずは土にさし込んで踏ん張る足場を確保するようである。芽と言うよりは、根と言うべきか。
昨秋落ちた実がいっぱい転がっていて、それぞれが競うように発芽している。どれも成長するという保証はないが精一杯命を尽くしているのだと思うといじらしくなってくる。

大地が光る

日の力増して影濃くクロッカス
飛び咲ける花洎夫藍に目を移す
しゃがむるに髪かきあげて花洎夫藍

クロッカスの和名は「花さふらん」である。

だから、ホトトギス歳時記では「花洎夫藍」は「クロッカス」の傍題として採り上げられている。
いっぽう、クロッカスと同属のサフランは、秋咲きであること以外に大きな差はないが紛れやすい。
地面すれすれの低い丈に細い葉を伸ばし花を咲かせる。地面から直接湧いてくるような錯覚を覚えるほどだ。球根性で手入れや鑑賞は腰を落としてしゃがみ込まなければならないが、光の強さが増してくるようになると、一斉に白や黄色が花開き地面は賑やかになる。
蕗の薹も地面にぽっかり顔を出すことを考えると、両者は大地に春が来たことを告げる先駆けと言えるかもしれない。春告げ鳥はウグイス、春告げ魚はニシンまたはメバル、春告げ草は梅とされ、いずれも春の先駆けとしての代表だが、大地に限って言えば花洎夫藍だって春告げ花なのである。

調べたら、一昨年もこの頃クロッカスの花を採り上げている。発想には進歩がなくてやれやれである。

水の底

隠沼の笹濁りして蘆の角
漣の間に角出て蘆の芽組かな

早春に、水辺にみられる蘆の芽を「蘆の角」と言う。

ツンと天を突くように伸びる芽が細いので「角」というわけだが、これは俳句独特の言い方である。
写真は蘆ではないが、たまたま訪れた公園の池で発見したものである。おそらく菖蒲の芽であろうと思われる。水の中でも浅いところは光が充分届くようで、水中に多くの芽吹きが見られる。
徐々に水が温むようになると成長のピッチも上がることだろう。

特産和布

干和布添へて漁協の引出物

漁協で新組合長の披露があった。

宴のお開きとなって招待者に持たされたのは特産の和布である。
ここは、和布と穴子が有名な浜で、夏祭りには穴子の白焼きが引き出物となる。
海に面して操業する会社にとっては、漁協ともうまくつき合わなければならない。
予断を持たず、正面から向かい合うことが信頼を深めることを学んだ3年間であった。