吾が農園自然農にて梅雨晴れぬ
自らを「ガラパゴス果樹園」と名付ける農園があった。
垣根に木苺や葡萄を巡らし、李やリンゴのほかさまざまな果樹を育てているようだ。
どうやら自然農法を取り入れているようで、雑草は伸びるに任せ。明らかに一般的な農園と違う雰囲気で、ガラパゴスとはまさに自らを諧謔的に、しかしはっきりと独自の信念を宣言するために名付けたものに違いない。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
吾が農園自然農にて梅雨晴れぬ
自らを「ガラパゴス果樹園」と名付ける農園があった。
垣根に木苺や葡萄を巡らし、李やリンゴのほかさまざまな果樹を育てているようだ。
どうやら自然農法を取り入れているようで、雑草は伸びるに任せ。明らかに一般的な農園と違う雰囲気で、ガラパゴスとはまさに自らを諧謔的に、しかしはっきりと独自の信念を宣言するために名付けたものに違いない。
みささぎの常世と隔て夏あざみ
結界のこちら現世夏あざみ
宮内庁管轄の陵墓は立ち入りが厳しく制限されている。
周囲は厳重な柵が設けられているのだが、神功皇后陵ではその結界に沿って咲いている夏薊の朱紫が鮮やかに目に映った。薊には罪はないけど、まるで現世のあだ花でもあるように。
実は、この句はある句からヒントをいただいたものだ。
当日一番に詠みたかった光景なのに、「結界」という言葉が思い出せなくて時間内にどうしても詠めなかったのだ。ところが披講、選句となって、
結界の外に一輪夏薊
を見て眼から鱗の思いで第一に選句させてもらった。そう、キーワードは「結界」だったのだ。神聖な領域のすぐ外に鮮やかな夏薊。現世のはかなさ。単にそれだけを言うために。
この句から類想の「常世」が生まれたというわけだ。
にちようび男総出の溝浚ひ
イメージがあったのだがなかなかものにできなかったのが、今日一ヶ月ぶりにふっと句にすることができた。
先々月「鎮守の森を観にいこうかい」で桜井市に行ったときのこと、男たちが手に手に鍬や竹箒などを持ってそれぞれ家路についている光景をある集落で目撃した。どうやらその日は集落の申し合わせで一斉のいわゆる「どぶさらい」の日で、共同作業が果てたあとの様子を目にしたのだった。蓋をされてないままの、集落の側溝の脇には泥がうずたかく盛られているのを見て合点したのだった。