僥倖

白壁の新樹明かりに日の斑

蔭紅葉がひときわ印象的な寺だった。

拝観を終えて順路から外れた庭に大きな楓があって、その蔭が白壁に目にも鮮やかに焦点を結んで際やかに揺れているのだ。
あのときの日の高さ、強さ、時間さまざまな条件が偶然一致したとしか考えられない僥倖の賜物であるのはまちがいない。
以来、白壁があれば蔭紅葉や青葉蔭などがないか探すのだが、なかなか好条件に恵まれることはない。

一区切り

立錐の余地なくあふれ燕の子
おしくらにこぼれんばかり燕の子

親が作った巣が小さく見えて、子供たちがこぼれそうである。

親が餌を運んでくるたび、いっせいに騒ぐものだからはらはらしてみているが、もちろん簡単にはこぼれない。
ただ、ときどき下に落ちる子もいるようだから、さもありなんとも思う。
巣立ちが近いと見えて相当大きくなっている。顎の下から胸にかけてのえんじ色がはっきり見えるほど餌をねだる姿は生きるのに精一杯の仕草である。
これがちょっと気づかないうちに巣立ちしてしまうと、いちまつの寂しさを感じつつ今年の燕のシーズンにひと区切りついたという思いにひたるのである。

Sディスタンス

久に行く美容院混む薄暑かな

今日は何回一階と二階を往復したろうか。

家の中に居ても汗ばむような日であった。
faxを兼ねたプリンタは書斎にないので、印刷の調整で部屋を行ったり来たり、半日がかりをそんな繰り返しで昼寝の時間もとれなかった。
すぐ近くの郵便局へ行くのにマスクを忘れたのを現地で気づいて焦る。客もこころなしか多いような気もして、やはり自粛生活から開放されてどっと人が出ているようである。
家人もしばらく我慢していたカットしてもらいに美容院をのぞいたら、ソーシャルディスタンスどころではない混みようだったとか。
美容院というのは、自粛解除となると真っ先に行くところかもしれないな。

ネット不要

蟻がきて鳥さへ食はぬ苺かな

飛鳥ルビーをプランターで育てている。

特別に可愛がっているわけでもないが、それでも花が咲いて受粉し実がふくらんでくると期待感もふくらんできます。
さあ、もうすぐ熟すかと思う頃こんな高いところまでナメクジがきたり、蟻がはってきて実が傷むばかりである。
通常苺は鳥を警戒して網などで防御すると聞くが、全く不要なありさまである。

引き締める

血圧計ベルトくいこむ朝薄暑

血圧計のベルトの圧は相当な力がある。

力んでしまうと急に暑く感じたり、血圧が上がってしまうのではないかとも思うのだが、計ってみるといつも大きな違いがないとほっとするものだ。
血圧計によってはそれぞれまちまちの数字を表示するが、同じ器械では大きな変動はないので、自宅用とクリニックで計る数値に差があっても気にしないことにしている。
ともあれ、朝の血圧の無事なことを確かめて、今日は暑くなるぞと気を引き締めるのである。

漠として

震源の海の黙して夏霞

紀淡海峡あたりを震源とする小さな地震が多い。

長野・岐阜・富山三県にまたがる群発地震も気になるし。
列島は東や南から押し寄せるいろんなプレートに乗っかっているので、紀淡海峡のみならず太平洋側はすべて震源域といっていい。
今は静かに凪いでいても、いつ牙をむくともしれない海なのだ。
しかし、東南海地震が30年の確率70%という数字を聞かされても、このかすむようにおぼろな淡路や阿波のごとく漠とするばかりである。

一堂に会す

テレワーク器材そろうて新茶汲む

マイクとイヤフォンセットの売れ筋が品薄だそうである。

最近のノートパソコンならカメラやマイクは内蔵されているので、流行りのZOOMなどオンライン会議などはすぐに実現する。
ただ、環境によってはイヤフォンを使わねばちゃんと聞き取れないとか、やれ音質がどうとかで、ハンズフリーにもなるマイクとイヤフォンセットを求めるわけだ。
テレワークはいいが、家族も居て仕事せんようの書斎などがないと、なかなか落ち着かない面もあるのだろうか。
筆者などは別にスマホでもいいとも思うし、長く休会になっている句会などもオンライン会議のシステムでやれれば面白いとは思うが、そうなれば家庭の一面も覗かれるような気がするし、所詮趣味でしかない俳句の合評など聞かされる家族にとっては雑音でしかなく肩身の狭いものにもなろう。
やはり、俳句は座の文学として一堂に会し顔を合わせてこそのものなのだろう。