一時間不足

明易やスマホに灯る震度四

早い時間に目覚めたら、スマホにバナーと呼ばれる表示がある。

マナーモードにしているから音には気づかなかったが、また夜中にあった地震速報である。
万が一を考え災害情報関連のアプリをいれてあるので、アラートはありがたいが、毎日のようにあると狼少年じゃないが慣れが恐ろしい。
さらに五時頃目覚めて具合が悪いのが、それまでおとなしくしていた猫である。もともと朝の早い動物だから、もう抑えがきかず活動開始して餌をねだる、でなければ暴れるぞ、である。猫のトリックオアトリート。
あと一時間寝られるとふとんに潜ってもそうはさせじといろいろ仕掛けてくる。今日もまた睡眠が一時間たりなくなった。

こだま

天彦の風運びくるほととぎす

鶯がよく鳴くこと。

暑くなって窓を開けることがふえるととくに目立つ。
八幡さんの杜から住宅地にこだますように聞こえるのだが、今日はその声に時鳥も混じってしばらくはぜいたくな合唱である。
ここ二三日聞いてるが、常に移動しながらなく鳥であり、しかも同じ場所にはとどまらないですぐ他へ行ってしまうので、ここ数日にかぎられる合唱と言える。

一日仕事

草取の袋ひとつで足りぬ嵩

草むしりである。

やらねばやらねばと思っているうちにどんどん伸びてくる。
毎日ちょいちょいとやってればいいのだろうが、なかなか腰があがらない。
だから意を決してやるとなると半日どころか一日仕事となってしまうのだ。
40lのゴミ袋は四つも五つもになって、生ゴミの日に集積場に山のように積む。

血統

無観客ダービーといふ若葉冷

久しぶりに競馬中継を見た。

芝のコースが目に鮮やかな季節だが、当地は曇りでやや肌寒そうで、ダービーのあのスカッとした青空の下というイメージからは遠かったようである。
馬はと言えば、映画やドラマで見慣れている馬に比べ、あまりの足の細さに哀れさえ覚えるのであった。
引退馬がセレモニーを先導する様子も見たが、こちらは見窄らしいほどの脚ではない。
やはり、現役馬は絞り込まれて贅肉というものをとことん削られているのだ。現に競走馬というのは強い馬ほどハンディという錘を着けて走らされるので、体重というのは競走馬にとっては勝負をも支配するものなのだろう。
一着二着とも大本命がきて順当な結果であったのだが、一着はあのディープインパクトの子供と聞いてあらためて血統というものが期待される半端なものではないことを思う。
そのでんで言えば、駄馬に生まれたものは駄馬にしかなりえないという身軽さも悪くないのであるが。

紀路越

紀路ぬけて大和は茅花流しかな

大和の支流という支流は茅花盛りの堤である。

強風、突風というものが少ない盆地だが、それでも風は吹く。
今は梅雨入りを前に茅花の穂が風に靡いて、まずまずの季節なのである。
南からの風の入り口はせまく、おおかたは大峯の高い嶺々よりも紀ノ川沿いの低地から吹いてくると考えてよさそうである。
曽我川も、飛鳥川も、平群川も、盆地を流れる川はすべて大和川の支流であり、その支流すべてに茅花の穂が揺れているのである。

濁るまま

代田より平群へ落ちてゆく峠

久しぶりに外出すると夏の光りが眩しい。

平群の峠では早くも代掻きが終わったようで、盆地の一番載りである。
代掻きが終わったばかりの田は水を澄ませるものもなく濁りきっていて、生駒の山を映すには至らない。
苗代田には植えるのを待つばかりに苗が育っていて田植も近いのだろう。
こうして、高いところから低いところへ徐々に水田がふえてゆき、植田が広がってゆく。
あとひと月すれば大和国ン中の景色がおおきく変貌することになる。

浸食

蟻壁に当たりて壁を登りゆく

蟻の行列を目で追ったら、どうやら二階ベランダをめざしているようである。

巣穴からだろうが、基礎のコンクリートの垂直の壁をトラバースしてきて、一気にまた垂直のルートをたどっている。
不思議なことに、壁の下の方ではそれなりの数が右往左往しているのに、登り切るのは少ないのである。
いったい彼らはどこで消えるのか、首をひねるばかりである。
壁のどこかの内部に食いついて、柱などを浸食しているのかもしれないと思うと薄気味悪くもある。