溜池放流

池水を引いて代田の泡まみれ
水口の塗りに手練れの代田かな
星景の底に代田のあるばかり
ひとところ水漬かぬままの代田かな

貼り紙に池水解放の日にちが書いてあった。

はたして、山の池につづく急傾斜の水路をごぼごぼ音をたてながら代掻き用の水がくだってゆく。
雨の少ない盆地は例年梅雨入り頃の溜池の水を放して本格的な田植えが始まる。いまは半分ほどの田に水が張ったようだ。
田の土はこれまでたっぷり日を浴びて温度が上がっているので、代掻きが終わったばかりの田は白濁したままで泡だっている。
このあと畦塗りして、落ち着いてくると代田の水も澄んできていよいよ田植えを迎える。
今日日曜日も山の田に向かって耕運機が公道を登ってゆくのを見た。あたりはすっかり宅地化しても、昔から在の人たちがやってきたやりかたでむろんナンバーレス。なんとものどかである。

雨上がりの朝

さきがけの四葩供花とし剪りにけり

紫陽花の蕾が色づきはじめた。

花の成長が早くすぐに花片をこぼしてしまうので、仏壇に供えるには咲ききるまえのむしろ蕾のもののほうがよい。
冬の間にかなり枝透きしたので、今年は形もよさそうだ。
雨があがった朝、さっそく鋏を手に庭に降りた。

頭越し

皮底の靴重たくも走り梅雨

西日本の頭越しに東の梅雨宣言。

関東などは明日は晴れそうだしなんだかなあと言う感じだが、西はしばらく先に持ち越すとのこと。
となれば、今日の雨などはまさに梅雨の走りというべきだろうか。
雨と言えば気になるのが足もと。
とくに現役時代は雨靴で出勤というわけにもいかず、いきおい革靴となるが、一日中履いてるものなので快適さを保つことがポイントとなる。
そのなかで皮底の靴は通気性もあって晴の時は蒸せなくていいのだが、いったん水を吸ってしまうと重くも感じるし、それがひどいとなんとなく湿っぽく感じることがある。
逆に、合成底のものは水は通さなくてよいのだが、蒸れるのが欠点で使う気になれなかった。
その後、水蒸気は通すが水は通さず、しかも軽いという便利な素材が開発され、普段使いには非常に便利である。ただ、デザイン的には皮のものにはとうていかなわないので、ここというときは履き慣れた皮底の方を選んでしまう。だいいち靴音が違うのである。あの足を運ぶたびこつこつと響く音には背筋をただせと言われているような気がするのである。

痛い視線

子を守る水札の威嚇の痛いほど

団地の遊水地が子育て場になってるようだ。

水札は「けり」と読む。冬の渡り、田鳧とは違う。
この二三年あの独特の「ケリケリ」と甲高い声が近所でよく聞かれるようになって、どうやら道路から一段十メートルくらい深くて、半分ほどが草に覆われているプールのような空池を安全な場所と判断したようだ。
親は雛を散歩させるにも、甲高く鳴いて守っているので、付近の人はあの声に辟易しているかもしれないが、だれも除去しようという声は起きない。
通常は田や畑で子育てするのだが、天敵に対抗するには格好の場所なんだろう。
先日そばを通りかかったら、ネットフェンスの上からまるで威嚇するように咆えながらこちらを伺っている視線を感じた。頭にケリを入れられてはたまらないから興味ないそぶりでその場を去るのがやっとだった。

遊び友だち

風吹くまま角向くままにかたつむり

なめくじは見るのもいやだが、蝸牛なら掌にものせられる。

子供のころからの遊び相手だし、あのゆったり動きを見飽きることもなく、とくに人間に害を及ぼすことのない蝸牛は歳をとっても愛してやまない存在なのである。
目玉はあの角の先端にあって光りを感じることができるらしいが、視覚というのはないらしい。ということは、いったい何をしるべに動いているのだろうか。匂いなのか、音なのか、風(空気)なのか、調べてもないのでよく分からないが、少なくともあの動いて止まない角が何らかのセンサーの働きをしていることは違いないだろう。
梅雨も近い。絵に描いたように、雨に濡れた紫陽花をかたつむりが這ってくれないかと思う。

毒よく毒制す

句悩するひとりの世界夏木立

大宇陀薬草園へ吟行。

春に訪れたときとは様相が全く違い、草という草茂りあって、当然ながらどれも薬草。
ここでは嫌われ者のどくだみだって大きな顔してスペースを占めている。
花には早かったがトリカブトの丈もすっかり伸びて、吟行子は怖い物見たさに顔を寄せ合うように眺めている。
このような毒のある薬草が思ったより多く、薬効と毒とは紙一重の関係にあるのだと言うことがよく分かる。
毒よく毒を制すということか。

新兵器

ドア閉めるより早く蚊の滑り込む

蚊のシーズンがまたやってきた。

外にちょっといるだけで、露出した腕や首筋を鋭く刺してくる。
今日など、家に戻るときつきまとっていた奴を振り払おうとしたが容易に侵入を許してしまった。
一応身の回りに奴がいないと踏んでドアを開けたのだが、そのわずかな一種の隙を突かれたのである。
いったん侵入を許したが最後、今度は室内のイタチごっこが始まるのである。
ああ、ゆううつ。
だが、今年は昔より吸引力が上がった掃除機を武器にしようと考えている。うまくいけば一瞬にして仕留めることができるだろうことを期待して。