眼鏡紐ゆれてつぶさに冬の御所
フリッカーに上げてある去年の写真を開いてみた。
源氏完読記念の京都宇治の旅である。
そのなかに句友二歩の笑った顔が大きくクローズアップされた写真がある。
京都御所見学のときの写真だ。
よく見ると、その顔に昨夜の名残があるのはいかにも彼らしい。
そして、どこへ行くにも彼の眼鏡には紐がついていて、それが一つのトレードマークである。
カメラに向かって笑顔を振り向けた、そのときの彼の目は限りなく優しい。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
眼鏡紐ゆれてつぶさに冬の御所
フリッカーに上げてある去年の写真を開いてみた。
源氏完読記念の京都宇治の旅である。
そのなかに句友二歩の笑った顔が大きくクローズアップされた写真がある。
京都御所見学のときの写真だ。
よく見ると、その顔に昨夜の名残があるのはいかにも彼らしい。
そして、どこへ行くにも彼の眼鏡には紐がついていて、それが一つのトレードマークである。
カメラに向かって笑顔を振り向けた、そのときの彼の目は限りなく優しい。
二歩をよく知る友人たちからいくつかの追悼メッセージをいただきました。
弔句もいくつかいただきましたので、あらためて頁を起こして紹介したいと思います。
芭蕉忌と知りて旅立つ句友かな 南天
二歩さんともう一度飲みたいオールドパー 岩ちゃん
紅葉降り遥かな星へ友逝けり skyblue
(敬称略)
彼の過去作品500点あまりをあらためて読んでみました。
両親、家族や愛犬、そして酒、山、旅。
どれにも優しいまなざしが向けられています。
そう言えば、落語も好きでしたなあ。
温め酒志ん生に酔ひ漢逝く
乳根垂る古木守れる神の留守
十一月になるといつも不思議に思うことがある。
七五三の神参りである。
この月は神無月で八百万神すべからく出雲に出払っているのに、誰も疑うことなく拝殿に畏まってお祓いを受けている。
結婚式だってそうだ。ハイシーズンだから一日に何組もこなす神社もあって、みな平気で式を済ませている。
どれもが神さまがいなくては具合が悪いので、きっと留守番役の神さん、代理神さまがいらっしゃるのだろう。
考えてみれば、神社では古木などが御神木として崇められているわけで、御神木は移動ができないから目に見える代理としてその役割を果たしているのかも知れない。
葛城の一言主の神さんのところでは、御神木の乳銀杏が見事な黃葉を光らせて留守を守っている。
高尾山主なしとて帰り花
昨夜ご遺族からのメールで訃報を聞いた。
体調を崩していると人づてに聞いてはいたが、先月の同級生句会の投句、選句とも立派に済まされていたのでそこまで悪かったとは夢にも思わなかったので非常に驚いている。
「俳句を詠まないか」と君に誘われたのは10年前の早春城ヶ島ハイキングのときだった。
リタイアしたときの楽しみをみんなで共有しようと、君が音頭をとってくれたおかげで句会は今日まで続いているし、会員も当時の倍以上にふえている。それに何よりも、同級生の絆がより強まったように感じるのは僕だけではあるまい。
俳句に始まって、今では源氏物語読書会、百人一首談話室の活動にも広がり、それらは僕などにはとてもついてゆけないほどの深い境地に達している。
それもこれも君の撒いた種が大きく成長してきた証だ。
五千句を目指すこのブログとて、君が種を撒かなければ生まれてはいなかったのだ。
高尾向き来年こそは紅葉狩り
兼題「紅葉狩」に対して詠んだ君の絶唱である。
おそらく毎秋の高尾ハイキングは君の楽しみであったのであろう。
体調を崩して今年は実現できそうもないという無念が、今高尾の階にときならぬ帰り花を咲かせているのではないか。
君の旅立った15日は芭蕉の忌日(陰暦10月12日)だという。
奇しくも翁の命日に重なるようにして発った君の冥福を感謝をこめて祈るものである。
合掌。
長逗留残る紅葉を諾へる
「残る紅葉」は「冬紅葉」の傍題。
実際に詠もうとすると意外に難しい。
季語だけで6文字を消費するので中七に置くことが多くなり、そのため下手すると上と下が分断されかねないからだ。
今日は「冬紅葉」の持つ凄みを増した紅葉のイメージを強めるためにチャレンジしてみた。
長逗留というのは治療のための湯治宿の滞在、あるいは札幌など遠距離に単身赴任を余儀なくされている身などを想定してみたが、いずれにしても予想より長引いてとうとう紅葉の季節も終わろうとしている。それも止むを得ないなあ、せめてこの凄惨な紅葉が慰めかと自己肯定している。
はてさて、そんな風に読んでもらえるかどうか。
老の手を引いて迂回路冬紅葉
談山神社の紅葉はもう終いに近いらしい。
先日行ったときもやや遅かったかなと思ったくらいだから、昨日今日の雨でずいぶん葉を落としたことだろう。
談山神社の正面は見事なくらい一本の急な石段で登り切ったところが本殿、拝殿の脇となっている。
膝が悪かったりして、この石段を一気に登るのが辛い向きにはなだらかな坂を行く迂回路にまわったり、階段の途中で横道にそれて蹴鞠の広場や十三重塔、鎌足の津まである鏡女王を祀った摂社(恋神社)などを楽しみながら行くのもよい。
境内のどこを歩こうが紅葉が素晴らしく、三大山城の一つとされる高取城のも有名だが、県内ではそれを上回り一番の名所だろう。
それにしても雨が続くので外で詠む機会がない。しばらくは回復しないというので机上の作句が増えるのも止むを得ない。
柿供養併せ大和の十夜かな
「十夜」という題が出された。
浄土宗寺院で行われる十夜念仏法会のことであるが、見学の経験がないとなかなか難しい題である。
関東では鎌倉光明寺、関西では真如堂がよく知られているが、近くでないか調べてみたら奈良市内に厄除け観音としても知られる慈眼寺というところで一昨日の14日に行われたとある。
この慈眼寺では樹齢四百年の柿があって、十夜と併せて柿供養も行われるのが珍しいというかいかにも奈良らしいなと思わせる。
ところで、十夜と言いながら、このように短縮して一日で済ませてしまうこともあるのも不思議で、浄土宗ホームページに当たってみると合点がいく。
歳時記の例や普通詠まれる十夜の句というのは、やはり夜おそくまで続けられる法要の一場面を切りとるものが大半なので、ちょっと毛色の違った十夜句と言えるかも知れない。