初冬の週末ニュースのおぞましき
朝起きてテレビをつけたら九州で津波がどうのと言っていた。
パリでは背筋が凍り付くような無差別大量殺人。
自然には勝てないにしてもうまくつきあう方法は見つかるに違いない。
しかし、突然で一方的な暴力には弱い市民は逃れるすべはない。
極度な憎しみを抱えて今日も地球は回っている。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
初冬の週末ニュースのおぞましき
朝起きてテレビをつけたら九州で津波がどうのと言っていた。
パリでは背筋が凍り付くような無差別大量殺人。
自然には勝てないにしてもうまくつきあう方法は見つかるに違いない。
しかし、突然で一方的な暴力には弱い市民は逃れるすべはない。
極度な憎しみを抱えて今日も地球は回っている。
時雨忌の暗峠雲の内
芭蕉忌やそぞろ手の伸ぶ時刻表
今月15日が陰暦10月12日、芭蕉忌である。
芭蕉が眠る大津・義仲寺のほかゆかりの伊賀、深川などでは毎年法要や句会が行われる。
芭蕉が亡くなったのは元禄7年(1694年)で、伊賀滞在中に奈良、暗峠を越えて大阪に入ったが病を得てしまいあれよあれよの間だったという。
そうなると、有名な「旅に病で」は辞世の句というよりは、本人としては思わぬ病を得たものだなあと言う程度だったのではなかろうか。
仲違いした弟子たちの取り持ちのために大阪入りした背景があるそうだが、だとすると俳聖の早い死は弟子たちの罪であるとも言えるだろう。
まことに仲が良いというのはいいことなのである。
今日は夕方から雨。生駒山地は低い雲が垂れ込めている。
訂正)芭蕉没年に間違いがありましたので訂正しました。thx to キヨノリさん。
落葉掻く作務に大樹の容赦なく
掃いても掃いても降り止まない。
広い境内を掃く時間も伸びるだろう。
落葉掃きは今この時期が一番忙しい。
掃くそばから樹齢四百年の大欅から降ってくるのだから。
掃き寄せた落ち葉の処理も大変だ。
条例で落ち葉焚きもだんだん難しくなってきているし。
何より寂しいのは、昔のように子供たちも集まってきて焚き火を囲むという光景をとんと見かけなくなったことだ。
反橋を袴からげて七五三
本来は11月15日が七五三。
実際には11月に入ればいつでも神社は受け入れている。
訪れた住吉さんはあいにくの雨だが、日曜日でそれも日柄がいいのか爺婆、父母を引き連れてこの日ばかりは神妙の子供たちであふれていた。
住吉さんの反橋の傾斜は相当なもので、大人であっても登りはいいとしても下りなどは最新の注意を要する。
3歳、5歳と小さく、まして着慣れない着物とあっては子供たちも大変だ。
大人に両手を引き上げてもらう子、千歳飴の袋を濡れた橋に引きづりながら渡る子、袴や着物の裾をからげる子、いずれも傘を差しながらのことだから端で見てもはらはらしてしまう。
それでも、誰もむずかることなく渡りきるのは、このあとさらに楽しいことでも待っているのだろう。
柔らかな雨の手触り今朝の冬
予報通りの雨となった。
だが、冬の雨ではない。
温かい雨だ。
暦は今日から冬だという。
歳時記は今日の朝を「今朝の冬」と。
冬は雨から始まると気象予報士が言っていた。
手始めは優しいようだが、一ト雨ごとに冬を実感していくことだろう。
月例の地区クリーンデーが雨で休みとなった朝。
皇子偲ぶよすがの歌碑に秋惜む
白毫寺は高円山の麓にある。
境内には、その高円山に向かうように万葉歌碑があった。
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに 巻2-231
白毫寺はかの天智の志貴皇子別邸跡だという伝承があり、皇子がなくなったとき笠金村が詠んだ歌だとされている。萩をことのほか愛した皇子がいなくなって、高円のあたりに咲く萩を見るだにせつなくなるという歌だが、この歌碑が向いているのはその墓のある春日宮天皇陵(正式には田原西陵)だと札書にある。高円山の後背約3キロほどにある山間の地である。
皇子がなぜ天皇と称されたのか不思議に思ったので調べてみた。
天武系最後の称徳天皇が亡くなって、志貴の第六子白壁王が即位し光仁天皇となった。以降天智系の世が続くわけだが、その光仁が父に春日宮天皇の称号を贈ったからと知った。光仁自身も田原東陵に葬られている。
近年太安万侶の墓が発見されたのは、その両陵の間にある茶畑からである。
そのような歴史に思いを馳せながら高円山を眺めていると、権力争いから距離をおきながらも二品にまで上り詰め、かつ多くの万葉秀歌を生んだ賢明でいて繊細な皇子の波瀾の人生を思わざるを得ないのであった。
と、そんな感興に浸っていたら、歌碑の裏手を訪うものがある。笹子だ。
高円の野辺の変はらぬ笹子かな
白毫寺裏手はそのまま高円山につづく森となっていて、人の手もあまり入ってないように思える雰囲気がある。
玉砂利に粒と溶けゆく木の実落つ
椎の実がいっぱいこぼれている。
ただ、落下した先が境内の玉砂利で、木の実はまるで石の粒になったように溶け込んでいる。
ここは奈良市白毫寺。
晩秋の奈良盆地を一望できる素晴らしい立地だ。
萩の寺、五色の椿の寺として知られるが、秋でもあり冬と言ってもいいこの時期の句材が数多くある。
名にし負ふ花の札所の冬桜
とくにこの日目立ったのが冬桜、これから紅葉のシーズンずっと咲くというので十月桜とも言える。
小型の地味な花で枝いっぱい咲いていても、春のような絢爛たる華麗さとはまったく無縁なのが冬桜の特徴。
白毫寺へ登る萩の石段は有名で、その途中で冬桜を見つけたときはてっきり帰り花かと勘違いし、
乱磴の歩をゆるめては帰り花
と詠んでみたが、場所を特定しているわけではなし、これはこれで創作句として通じるのではなかろうか。