月食は

電飾ツリーいよよ眩しき雨の道

電飾のツリーもカボチャの馬車ならむ

今夜は皆既月食が見られそうもない。
昼間から雨が断続的に降り続いていて、さっきから何度も外へでてみたが冷たい雨がぽつぽつと降っている。

ご近所の白や赤、青、黄、おそらくLEDであろう明るいツリーの飾りが、雨に濡れた通りに反射してさらに明るく見える。
しかし、関電の要請をうけてだろうか、午前になる頃には消えている。

しぐれに寄する抒情

あの里のけぶれるあたり片時雨れ

冷えてきましたね。
明日の朝は零下一度になるそうです。
ここは盆地の遠くまで見渡されるのですが、遠くの里に時雨が通り過ぎてゆくのが見えました。
もしかしたら近いうちに雪がちらつくのを見ることができるかもしれません。

佐藤春夫の「しぐれに寄する抒情」を思い出しました。
。。。。。。
しぐれ しぐれ
もし あの里をとおるなら
つげておくれ あのひとに
今夜もねむらないでいたと
あのひとに つげておくれ
しぐれ
。。。。。
なんとも甘味な調べですね。
これを亡き岳父が書にして額装しました。強面ですが、内面ロマンティストだったんですねえ。

薬効

大雪や母のすがりし中将湯

昨日当麻寺に着いて分かったことだが、16歳の時中将姫がこの寺で剃髪し29歳で世を去ったという縁の寺であるという。
小子は姫が編んだとされる当麻曼荼羅の話よりも、中将姫が伝えたとされる薬湯に興味が引かれた。
というのは母がまだ若い頃病で苦しんでいたとき、毎日のように薬湯で腰湯をしていたことを思い出したからだ。
その薬湯の名は中将湯であったはずだと思い、帰宅して調べてみたらはたしてそうだった。
体を温める効果がありかつては婦人病に効く薬として重宝されたらしいが、今では入浴剤バスクリンにとって代わられているとのことだ。

当麻寺の梵鐘(国宝)。背景の山は二上山。

葛城山麓で

葛城山

葛城山

葛城の隠れ雲間や冬日差し

風が穏やかだったので葛城山の麓まで遠出した。
二上山を過ぎ当麻寺(日本最古の梵鐘があった。中将姫が剃髪した寺としても有名とのこと)を見た後、竹内街道も過ぎ葛城市屋敷山古墳までの往復。
葛城の山々は曇りがちではっきりとは見えないが、雲間より幾条かの日差しが差し込んでいる。

古歌の丘風も吹かぬに枯葉降る

屋敷山公園として整備されている屋敷山古墳は葛城市最大の前方後円墳で、古墳が造られた時期は古墳時代中期にあたり、葛城氏の首長の墓と言われている。戦国時代には領主布施氏の館が築かれ、続いて江戸時代には大名桑山氏の陣屋が築かれたせいか、地元の人に聞いても城跡だというひともあればいや古墳だと言う人もいたが、形大きさからして元は古墳だったことが容易に推定できる。

池水に影さへ見えて咲きにほふ 馬酔木の花を袖に扱(こき)入れな・・・大伴家持

公園の濠跡と見られる場所に家持の歌が。

でも、やっぱりこの日はこれを見たかったのだ。


二上山。

あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに・・・・大津皇子

当麻寺奥の院先に大津の石川女郎(いしかわ の いらつめ 大名児おおなこ)へ贈った歌の碑があった。歌碑の背には二上山が見えるのだがあいにく曇り日でうまく写らなかった。

今度の年賀状

このたびの賀状の書き出しいかにせむ

そろそろ年賀状の準備に入らねばならない。
今年は当人が天災に遭われなくても、親戚や知り合いに被害を受けた人がいるかもしれないので、単純に「おめでとう」ではまずいのではないかという声も聞く。
いや、こういう時だからこそ来年がいい年になるよう心を込めた「おめでとう」が相応しいとも。

ああ、頭が痛い。
いっそ俳句で飾ろうかとも。

熊野の冬光景

風受けて光るさんまの干物かな

そろそろ熊野の丸干しサンマの季節だ。
テレビで見ているとたいていの人は骨を食べないが、丸干しサンマははらわたも骨もまるかじりするのがいい。
干し具合の出来がいい年にあたると一回で2,3本を食えてしまうくらいうまい。

30代のころ室生寺から吉野を抜けて尾鷲を旅したときのこと。
そのとき目にしたのが塩水につけたやつを天陽と潮風にあてて干してある光景。
銀色をしたやつが風にふかれて一様に揺れていたさまを今でも思い浮かべることができる。

大和川を遡る

行き交ふは人の笑みなり鴨の川

今日は往復20キロほどのポタリング。

盆地の北や南で生まれた支流が大和川に合流するあたりを見に行った。
これらの支流沿いの土手を組み込んで、奈良市内から西の京、斑鳩へ、郡山から飛鳥方面へなど、サイクリングコースが用意されているが、コースがあちこちで分断されいつの間にか一般道を走らされるという具合で、残念ながら整備状況は本腰をいれているようにはみえない。観光地としてこれらを本格的に整備すれば他府県からもっと人を呼べるだろうに、なにしろドル箱の観光資源を数多くもつゆえに期待は薄いかもしれない。

その合流地帯あたりだが、何本もの支流が次々と流れ込みようなところなので当然人家からは遠く、風をまともにくらってしまう。季節がそろそろ終わりに近づいていることもあって行き交う人は稀でひたすらペダルを漕ぐしかなかったが、それでも小鴨の群れが休んでいるのを暫く眺めていたり、行き交うサイクリストと合図の交換をしたりしていると気分も暖かくなるもんだ。

10キロほど走ったところで飛鳥石舞台古墳まで20キロという標識があり、自宅からは60キロ足らずで飛鳥を往復できることが分かったところで引き返すことにした。