全容

こもりゐる大工釘打つ秋の雨

決まったように朝7時半に来て、夕方6時20分頃帰る。

隣家の新築工事が着々と進んでいるようだ。今は内部工事だろうか、電動ドリルの唸る音、釘打ちの電動ハンマーの音などが聞こえる。鋸で曳く音、カンナで削る音というのは今では全く聞こえてこない。
同じ頃に近所で棟上げした大手住宅メーカーの工事は早くも足場が取れて完成が間近といったところ。12月竣工予定という隣家では、ひとつひとつ現場で部品を作り上げてゆく昔ながらの工法に近いのだろう。
全容はいまだ足場に覆われたままである。

なびく

放棄地のしばし華なるゑのこ草

借りている区画の隣が草ボウボウ。

主はめったに顔を見せず、いまは夏の草が種をつけはじめた。サツモイモ、里芋も雑草に埋もれてしまいそうだ。
えのころ草は同方向にいっせいに靡き秋を迎えようとしている。

自家採取

双耳峰二つ雲のる厄日かな

今年の厄日、二百十日は昨日の8月31日。

昔から稲が咲く頃の風雨を怖れられてきた。今では台風シーズンを避けて早生米を作るところがほとんだが、再三取り上げるように当盆地は今まさに稲の花咲く時期。幸いにして台風の直撃はないが、明日は確実に雨がふるらしい。畑には嬉しい雨である。
昨日だが、ふと顔を上げると信貴山の北峯、南峰のそれぞれに雲がかかるという珍しい現象に出会った。あの小さな二つの峰にである。だがしかし、とりたてて天気の動向に影響を与えそうもない、たんなる偶然であろう。
今日は収穫したスクナ南瓜を食べた。ものすごくうまい。というか甘い。これほどうまい南瓜は初めてである。もちろん十分熟した種は採っておいた。家の周りには南瓜を育てている様子はないので交雑はしてないと思う。
渓山さん、ご入り用とあらば自家採取したものをお送りしますよ。

気合い

夕星のともり帰燕の塒入

夕星(ゆうづつ)、つまり宵の明星が際だってくる時合い。

夕方5時頃から畑へ出て、1時間あまりたっぷり汗をかいて戻った空に輝いている。
昼間の暑さはどこへ行ったやら、吹く風は涼しい。
そろそろ秋雨前線がやってくるとかで秋の耕しは明日中に済ませたいと思うが、あの固い土では雨を待ってからのほうがいいとも思えてくる。
耕した後はどんな堆肥にするか、などあれこれ考えるのも楽しい。
さあ、明日から九月。また気合いを入れて頑張ろう。

保証

枝豆の指なめ渇きおぼへけり

畑から食べるだけの枝豆を収穫してくる。

コンパニオンプランツとしていろいろな野菜といっしょに植え付けているので成長もまちまちである。
除草シートにおおわれて何年も耕作されてなかったので土が痩せている。そこで土が育つまではこうして豆類をセットにして育てるのである。豆類の空気中の窒素を土の中に取り込む特技を利用してである。
他には落花生やインゲンなどがある。
こうした栽培を何年かくりかえしくりかえしちょっとずつ土を肥やそうというのである。気の長い話である。
えたいのしれない堆肥、化学肥料は使いたくないので、草を敷き込んだり糠をまいて土を動かさず微生物を育てるのである。土を育てるとは微生物を育てることと言っていい。土を動かさないということは耕さないこと。生臭坊主にはちょうどいい。五年もすればどんな野菜でも育てられるような土を目指している。
そのとき身体が動くかどうかはもちろん分からない。命だって保証はないのだから。

一月半

無農薬貫きとおし稲の花

盆地は今出穂の時期を迎えた。

菜園の隣地の田は無農薬と聞いているが、他の田に負けず稲の花をつけている。密集度は慣行田に比べて低いようだが高さは負けていない。
除草しているところを見かけたことないが、雑草らしいものは全く見えないので順調なのであろう。
これから約一月半程度で収穫期を迎えることになる。10月10日頃だろうか。

耐用年数

さらばゆる暮らしぶり見ゆ秋簾

ホームセンターで買って何年たつだろう。

葦かなにかで作られたものは3年もすればすっかり色あせ骨もやせ衰えて、昼間からでも暮らしぶりがのぞくようになるものだ。まして灯点し頃ともなるともう目隠しとしての役割をはたすことは無理。おのずと暮らしぶりがまる見えの代物となる。
やはり、ちょっと高価でも昔からの竹製のものでなくては長持ちしないのだろう。スーパーの天津すだれの類いの耐用年数はいいとこ二年ということだろう。それ以上使おうと裏返したりするがやはり無理があるようだ。