足指で入るるに馴れし扇風機
ものぐさである。
足の親指でスウィッチオンオフ。
家の中だからとこんなことをしていたら、いつかどこかでうっかりやってしまうかも。
腰をかがめるのもおっくうになってきたとか、言い訳も聞き苦しい。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
足指で入るるに馴れし扇風機
ものぐさである。
足の親指でスウィッチオンオフ。
家の中だからとこんなことをしていたら、いつかどこかでうっかりやってしまうかも。
腰をかがめるのもおっくうになってきたとか、言い訳も聞き苦しい。
いきなりの雷にうぐひす急調子
早朝の雷雨に目が覚めた。
大阪の観測では3時間の間におよそ1100回の落雷があったとか。
日中は涼しい空気に満たされて、まるで昔の旧盆の頃のようにはっきりと感じ取れる初秋の雰囲気。
梅雨明けが宣言される前のこの冷涼な朝は、何十年に一回という寒気がもたらしたものだという。いやはや、年がら年中異常づくめの気候である。
午後の昼寝を破ったのは雷雨だった。夕立というべきか。いきなり頭上でどかんと鳴って、猫どもはうろうろするばかり。
いつもは静かに啼いている鶯の声も急調子となった。
膝病んで床几所望の棚経僧
大神平等寺の住職が盆供養にお出でになられた。
永平寺でも長年重職をつとめられ二三年前に地元に戻ってこられた老師である。
この老師はたいした人物で、廃仏毀釈でつぶされた大神神社の神宮寺のひとつ平等寺を再建され、いままた多武峰妙楽寺の本堂を再建されたばかりである。この妙楽寺は7世紀に鎌足の長男・定慧が父の墓を改葬し今の談山神社の十三重の塔を建立したのが始まりで、全山が堂宇で埋め尽くされた巨大な寺院であった。明治の初めに打ち壊され今では木々に埋もれてしまったのであるが、その一画、談山神社の十三重の塔を見下ろす位置に新しく本堂が成った。この秋にも落慶法要が営まれる予定だと言うが、コロナ禍の今どこまで盛大にできるか心配されるところである。
そのお元気な住職が、いつもなら端座されて老々としたお経をお唱えくださるのだがことしは腰掛けを所望された。仏壇に向けてちょうどいい高さの床几もなく、食卓の椅子でご容赦願うことになったがお声はいつものようにご健在であった。
棟上の材山と積む日の盛り
隣地に吉野材を使った家が建つという。
週末が上棟式になるとの工事告知を聞いた。
今日はその構造材が運び込まれて、どれも立派な木材である。梁材などもいかにも丈夫そうである。
工場であらかじめ加工しているので、カンナ、鋸、鑿に代表される大工さんの七つ道具もあまり見られなくなった。墨壷などはさらに遠い昔の話になる。
祖父が大工だったので、現場で墨をつけ鑿でほぞを作ったり、カンナ台が床にどでんと座っていた時代が懐かしい。
梅雨の泥束子で落とす長靴かな
このところ雨が多いので毎日長靴で畑通い。
車のトランクも泥だらけ。いつか洗わなきゃと思いつつ、天気の悪さや暑さを言い訳に引き延ばしている。
だがゴム長は、毎朝外栓で猫のトイレを洗うので玄関に置くには都合が悪いのでしょっちゅう洗う羽目になる。
束子でごしごし、その後干してすっきりと。さあ、明日も頼むよと。
このほど追加で7坪ほど借りられたので、寸法など測りに。5メートル四方の使いやすい土地である。
夏野菜は一か月出遅れたので秋冬野菜が間に合いそうもなくどうしようかと案じていたが、これで葉ものなどいろいろチャレンジできそうである。まずはニンジンからになろうか。
消防団ホース日干して梅雨明けむ
当地は実質梅雨明け。
空気から重苦しい湿り気が消え、気温こそ高いが真夏のそれだ。
サングラス越しの野山の輪郭が今日ほど際だって見えたことはない。
しばらくは雷などあるというが、夕立の後の涼しさこそ待ち望むもの。
入道雲湧いて生駒の影黒き
蒸し暑い一日だった。
晴れるでもなく、かと言って曇でもない、明るい曇日と言おうか。
生駒山の真上にただ一本の入道雲が昇ったが、力無くやがて崩れてしまった。雲の峰とまではいかない日和で、梅雨晴れでもなく梅雨明けの強烈な日射しでもない中途半端な日和だった。