寝て起きて目鼻ぐずつく春の塵
真っ赤な花粉警報の連続。
杉花粉のピークらしい。なるべく外に出ないよう心がけているが、鼻水が止まらず鼻の周りが痛い。
目もしょぼつくし、かたわらにのティッシュペーパーと塵取箱が離せない。
南に目やれば高見山、音羽三山、吉野大峯が見えるがどれもかすんでいる。県南の美林から花粉がじゃんじゃん飛んでくるのであろうか。一か月おいて次は檜のシーズン。しばらくは戦いの日々である。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
寝て起きて目鼻ぐずつく春の塵
真っ赤な花粉警報の連続。
杉花粉のピークらしい。なるべく外に出ないよう心がけているが、鼻水が止まらず鼻の周りが痛い。
目もしょぼつくし、かたわらにのティッシュペーパーと塵取箱が離せない。
南に目やれば高見山、音羽三山、吉野大峯が見えるがどれもかすんでいる。県南の美林から花粉がじゃんじゃん飛んでくるのであろうか。一か月おいて次は檜のシーズン。しばらくは戦いの日々である。
足首に靴下よれる余寒かな
くたびれた靴下がずれてくると足首が寒い。
僕はいったん気にいると、もう寿命だと思っても最期のボロになるまで着古すまで着てしまう傾向があるようだ。
とくに顕著なのがTシャツである。布地など素材からくる肌触りのよさ、タイトでもなくルースでもない調度いい加減のサイズ、伸びたいときに伸びて元にもすぐ戻る柔軟性とと弾力性、これらが気に入るとそれこそ外へ着て出られないほど着倒すのである。最期は雑巾にも使えないくらい。
Tシャツなどは何枚も買ったが、今まで気に入ったものはおそらく2、3枚だろう。ほとんどは一回着ただけで箪笥の中に寝ているものが多い。
今日の靴下も今シーズンフルに履いた。さすがにそろそろ寿命かな。
土地名義書き換え済んで草萌ゆる
一年ぶりの草が顔を見せ始めてきた。
令和に変わろうが、コロナが蔓延しようが、お隣の更地のオーナーが変わろうが、季節になればそこに草が萌え草が枯れてゆく。
よほどたちの悪い種類でないかぎり、うまく共生の道を探ろうと思う春である。
ことごとく青垣霞む亭午かな
盆地全体がかすんで朦朧としている。
5月ころの陽気にまだ馴染めないでいる体には熱がこもってきて、冬服のままでいると汗が噴き出してくる。
今日は夏物野菜の種まきの準備をしようと、まずは苗の用土を調合したり苗床を準備したり。土に親しみ、作物を育てる楽しみは格別で、それだけで心が充満する思いがする。
今年は庭の小さな畑で過ごす時間が増えそうである。
湯殿への渡りの脇の蕗の薹
そろそろ蕗の薹、土筆の季節ではないかと思ふ。
桜にはまだ早いが、山辺の道の散策がてら土手に吹いてるのを確かめたい。
昨日今日と何やら用件があって外出できなかったので、今週あたりいってみようと思う。
狙いは崇神天皇稜付近。長岳寺あたりもよさそうだ。
掲句は、飛騨の奥の温泉で雪間からいっぱい顔を出しているのを発見したときの驚きを思いだしたものである。
土筆はともかく蕗の薹というのはなかなか見つけられない。あればすぐ人が採ってしまうかもしれないし、もしあったとしても明らかに私有地にあるものには手を出せないし。持ち帰ったという記憶はないが、そんなときは店先のもので我慢といこうじゃないか。やっぱり天麩羅がうまい。
そういえば、春の命をいただく季節がやってきた。山菜のシーズンには少し早いが、楽しみにとっておくことにするか。
恋猫の不法侵入こりもせず
追っても追っても懲りずにやってくる。
多い日は五回もあった。
その度に「こらっ」と叱るとすごすご戻ってゆくのはかわいいが、うちの子は避妊猫であるのを知ってか知らずかなんともあわれなことである。
今夜はもう一回来そうであるがどうだろうか。
春寒や工事夫潜るマンホール
連日のように工事が続く。
電線など電気設備の更新だという前触れがあったが、去年から何度も工事車両が道路をふさぐことが続いている。
間もなく期末だからと邪推の念さえわいてくるほど、長い工事である。
おかげで猛スピードで駆け抜けてゆく車がないので安心ではあるが、車の出入りが制約される家ではいい迷惑となる。
明日は3月下旬の陽気が戻るそうだが、花粉、PM2.5、黄砂の三重苦になるという予報。
ほどよい気候というのはなかなか得られない時代である。