雨近き匂ひもぞする春の宵
外へ出てみるとこの時期にしては生暖かい。
間もなく雨がこようというような風の匂いである。
夜半から明日の終日雨の予報がでていて、まさに雨を呼ぶ風である。
当地の桜開花予想が23日と出た。和歌山では20日とも。
本格的な春はあっという間に来そうである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
雨近き匂ひもぞする春の宵
外へ出てみるとこの時期にしては生暖かい。
間もなく雨がこようというような風の匂いである。
夜半から明日の終日雨の予報がでていて、まさに雨を呼ぶ風である。
当地の桜開花予想が23日と出た。和歌山では20日とも。
本格的な春はあっという間に来そうである。
桃の日や帰りたいけど帰れぬ子
桃の日やZOOMの背なの段飾り
三月三日は桃の節句。
うちは娘ばかりだから本来ならば雛壇を飾るところだろうけど、いつのまにか雛人形もどこかへ失せて長らくお祝いをしたことがない。コロナに振り回されて娘たちもあしかけ2年帰ってないし。次の休みは、と思いつつも状況はいっこうに好転せず、希望者全員にワクチンを行き渡らせるのも年を越しそうで、ますます先が見えないこととなっている。
五輪の方はどうやら海外からの観客はあきらめたようだが、コーチなど大量の選手団、あるいは報道陣が大挙入国するのはまちがいないことだし、このまま開催するのは危険すぎると思う。
カネまみれと堕してしまった五輪ゆえ、こころから喜んで応援、観戦する気にもなれず、今は国民みんながコロナに対峙して一日も早い終息を目指した方がよい。
まんさくの葉のわかれては春一番
近畿に遅い春一番が吹いた。
というニュースだが、いったいどこの話かと思う当地は無風に近い状態。低いとはいえ四方を山に護られてよほどのことがないかぎり強風はない。大きな台風が近畿を襲っても当地の風被害というのはあまり聞かないのである。
そのかわり、水には弱くてJRなどはよく止まる。
枯葉をまだたっぷり残しているマンサクも、さすがに強風では飛ばされていくぶんすっきりとした姿になるのは好ましいものである。
とも見えてまう一羽来る初雲雀
久しぶりに雲雀の声を聞いた。
どこにいるのか目を凝らしてもなかなか焦点が合わずきょろきょろするばかり。
100メートルくらいの高さにようやく見つけたときは、さらに一羽が加わって動きが急になる。
どうやら縄張り争いをしているらしく、もつれあうようにどこかへ消えてしまった。
鳥たちの恋の季節である。鶯もどこかで鳴いているにちがいない。
歳時記の立項うすき二月尽
なかなか季題に巡り会うのは難しい月だった。
外出が減っているから当然だが、そもそも二月は一年で最も季題が少ないときなのである。
今月の句を振り返っても満足できるものはなくて、それでもいろいろ苦労しながらどうにか今月の締め切りに間に合わせることができて安堵している。
とくに今年から結社の同人のなかでも限られた者だけ投句できるコーナーが加わったので、やりくりが大変だったのである。これは三か月に一回で済むのでなんとか投函を終えて虚脱状態といってもいいかもしれない。そういう意味では二月尽という季題には特別な思いがこもっているかもしれない。
来月は句会再開となるようで、明日からは気分を入れ替えてかからねばならない。
青海苔の岸辺に懸かる四つ手網
あをさと青海苔。
恥ずかしながら兼題「青海苔」が出される前は区別あろうとは思わなかった。
あをさは岩礁につく海苔で、青海苔は河口などに生える糸状の海苔。
「あをさ」は冬の季語で、「青海苔」は春の季語。
俳句を初めて詠んだ城ヶ島で見たのはあをさであった。洗濯岩に汐がひいたところを老婆が掻き取っていたのを思い出す。
ところで、紀州の湯浅は醤醢の町として知られるが、その河口には青海苔が揺れそれを縫うようにして白魚が遡る。実際にこの目で見たことはないのだが、青々とした海苔の上をあのか細い白魚が上ってゆくさまが手にとるように目に浮かぶ。かつては「ほまち」と言って老婆などが日銭稼ぎみたいに青海苔を採っていたらしいが、今ではだれも採る人などなく生うにまかせてあるというのはさびしい。
この声は恋の始まり春の風邪
春の風邪という季語は深刻でないように詠むのがいいと教わっている。
軽く見ていたので長引いたとか、とかく俳人は軽く詠もうとする。
要するに他人が心配することのないのが「春の風邪」なんであって、熱を出して寝込むなどというのは野暮なのであってそぐわないのである。
ま、しかしコロナ禍においてはうっかり風邪でも引くと、少しの咳でも鼻つまみ者として白い目で見られかねない。
とにかく今年は何もないのがいいのである。おとなしくしているのがいい。