命日

浪速から雪つれてくる雨水かな

今日は二十四節季の雨水だとか。

雪が雨に変わるころだというがどっこい、今頃になって雪が降るような変な陽気だ。朝には外の水栓も凍りついていた。今年は三回目だ。先日まで4月の陽気が連続していたことを思えば、今年もまた天気にほんろうされることになるにちがいない。
八年前のこの日黒猫ほだかが亡くなったのも雪がつらつく寒い日であった。
越してまもない頃で、行きつけの動物病院もまだ決まっていなかったので雪の中をいろいろ探した記憶がよみがえってくる。朝に倒れそのままクリニックで腕のなかで静かに息をひきとる夕方まで、短い別れを惜しむ暇なく終わった一日であった。

雪時雨

葛城山の懐白く凍返る

葛城山の懐まで真っ白になった。

雪時雨の雲が低く覆っていて、これが次から次へと東へ東へ流れてゆく。飛鳥方面は時雨雲にすっぽりおおわれて何も見えない。かと見ると、三輪山がみるみる曇ってゆく。
いっぽう生駒山や若草山など北の方はと見ると、そういうこともなく盆地南半分が雪時雨の趣をみせているのである。
当地も朝から雪が舞ったが積もる雪ではなく、風が強いのでただ吹雪くのみである。
明日もまた雪らしく平地では二センチほど降るとか。
温度計を見ても四度しか上がらずほんとに寒い一日であった。

周縁部

若草山視野の隅なる花菜畑

今年は山焼きがなかった。

というか、神事としての行事は滞りなく済んだのだが、観客も呼び寄せずひっそりと行われたようである。
いつもなら、遠見にも山の下半分が黒く見えるのが今年は枯芝の茶色が飛び込んでくるだけである。
大和川に立つとよく分かるのだが、盆地の一番低いところを流れていくわけだから、そこから見る若草山も低く見えてしまう。いっぽう飛鳥の辺りから眺めると盆地全体が大阪へ向かって沈んでゆくようにも見える。飛鳥など周縁部が最も高くなっているのである。
微妙な傾斜のついた盆地のあちこちに黄色い畑が点在する季節となってきた。

老い先

はこべらの萌えて多産の土ならむ

はこべやイヌフグリなどが生える土壌は畑に適しているという。

スギナなどが群れるのは逆に荒れ地の証拠で、植生の変化が進んで多様な植物が育つようになるとどんな野菜でも作れるようになるとか。
庭の隅に雑草などを積んでいた辺りは、発酵・腐食がすすんで土の色が真っ黒に理想的な土の色になっている。と同時に引っ越してきた当初スギナが暴れまくっていたのが、今では姿を消しかけていていろんな種類の雑草が生えるようになってきた。
芝生の庭も雑多な草におかされ管理が大変なので、いっそのこと思い切って菜園に変更しようと新しく畝をきってみた。元が芝生だから決して豊かな土ではなく、何年かかけて畑らしくなるよう培養しなければならない。老い先のことはおいといて、老いの楽しみを土に求めようと言うわけである。

霧吹き

先々で手指洗うて水温む

平群川がきらきら輝いている。

相当光りが強くなっているのだ。
農繁期の前には一部をせき止めて田水に流すようになっているが、この時期はまだその必要もなく水の勢いもおだやかで今日のような暖かい日は水温も上がっているにちがいない。
今日は何軒かのホームセンターで捜しものをしたので、出入り口を通るたび手指消毒することになった。気のせいか、いつもヒヤッと感じるアルコールの霧も今日は冷たくはなかった。
春爛漫を満喫したら明日は天気が崩れ、その後はまた平年並みの気温に戻るとか。
体がついてゆくのが大変な時期である。

混植

振ってみて撒く日思案の種袋

物置から古い種袋がでてきた。

ちょうど撒こうかなと考えていたネギなので、有効期限をとっくに過ぎているがばら撒きしてみた。ネギの種の寿命は短くは1、2年と言われているので芽が出れば儲けものという感じで。
これは食用というよりコンパニオンプランツとして茄子や胡瓜と一緒に混植するのが目的である。
夏野菜の植え時の初夏に移植できる背丈になっていればいいわけである。

春の窓から

珍鳥の庭におりたつ春日かな

珍客があった。

まさかのシロハラが庭に降りてしきりに餌を探している。
シロハラというのは雀と鳩の中間的な大きさで、落葉などの下にいる虫を探して地上で活動する鳥で、その落葉を跳ね上げる仕草がかわいらしい。若い猫がめざとく見つけて窓にはりついていて、その視点の先に見つけることができたのであるが。