曼珠沙華橋なき川を灯したる
大和川は灯がともるように彼岸花が散っている。
川沿いの堤防を遡ればどこまでもどこまでも燃えるような赤。
川をはさむ田園地帯の黄金色と対比して、それは鮮やかである。
気になることは、稔り田が今までみたことないような、ところどころ焼けるというのだろうか、枯れたようなところが目立つ。
長雨、それに続く高温の日々が影響しているのではないかと心配になるほどだ。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
曼珠沙華橋なき川を灯したる
大和川は灯がともるように彼岸花が散っている。
川沿いの堤防を遡ればどこまでもどこまでも燃えるような赤。
川をはさむ田園地帯の黄金色と対比して、それは鮮やかである。
気になることは、稔り田が今までみたことないような、ところどころ焼けるというのだろうか、枯れたようなところが目立つ。
長雨、それに続く高温の日々が影響しているのではないかと心配になるほどだ。
湯浴して復た見る月の中天に
湯上がりを待ちて月見のうち揃ひ
今年の月は皓々として澄んでいる。
天気が心配されたが、ゆったりとした時間の中で何度も仰ぎ見ることができた。
VHFアンテナ高く鵙猛る
鵙の季節になったようである。
今日などはもう使われなくなったVHF、アナログ放送用アンテナに止まってテリトリーを高々と宣言しているのを目撃。
田んぼに接した住宅街なので、住宅地の高いところと言えばテレビアンテナが格好の物見場所なのである。
デジタル技術が進んで商品がどんどん陳腐化する一方で、秋になれば毎年自分のテリトリーで雄叫びをあげる鵙の習性は変わらないのである。
エアポート浮かべる海の雲は秋
空を見ているとやたら誰彼のと思い出す形をしている。
ふだんは感じないことでも、ふとしたときに見上げる空の雲が妙に親しい。
ほんの少しの間、そんなことを考えながら空の雲を見るのは久しぶりだ。
校歌にある伊勢の海の向こうに空港がある。これを泳いで往復したというのだから、そのかみの先輩は逞しい。
信貴山の日の斑に浮かぶ竹の春
秋らしい日が続く。
今年は秋を素通りして冬になるのではないかと危惧していたので意外なほどである。
折しも流れる雲の間から日が差して、麓の竹林がぽっかり浮かんだように、まるでスポットライトが当たったように明るい。
やはり外出するといろいろな景色、光景が広がって、心の栄養にもなるようだ。
生り年といふに呆けたる柿一本
急に葉が落ちだした。
見れば梅の葉もそうだ。
急にどうしたのだろうか。
今日は駐車場のしつこい雑草を始末したのだが、夏はあれほど頑固だったのに今はおとなしく鎌を受け入れてくれる。まだ九月だというのにまるで晩秋のような気さえしてくるのだ。
それにしても、今年は生り年のはずなのに庭の柿がまるで実をつけなかった。もっともろくな手入れをしてないのだから不思議ではないのだが、それにしても葉の落ちようといい、この夏の暑さにすっかりやられてしまったのだろうか。
先だって蒔いた大根はちゃんと芽をだしたのだが、人参は失敗したようでもう一度チャレンジした。今度はどうだろうか。
日米欧揃ひ踏みなる夜業かな
夜業、言葉としてはもう死んでるかもしれないが、実態は依然として遺っている。
働き方改革とか言われて働くものにとっていい方に向かうかと思いきや、その実プロフェッショナル制度、裁量労働制だの、労働強化されるだけの時代。新自由経済制度がきわまった時代、自己責任主義がばっこし、労働者保護などどこぞの風と競争至上主義、市場原理主義がまかり通るこの国の大半の人はもう疲れ切っている。
国の制度を根本から見直さなければさらに格差拡大し、もう耐えられないこの国の将来が見える。
古い季語からこんなことを考えてしまう時代になったとは。