無農薬

二昼夜の雨の恵みの貝割菜

間引かねばと思っているうちに雨が降り続く。

完全無農薬、無肥料ときめて一切の人工の手立てをせぬと決めたから虫除けのネットしてないので、おんぶバッタのかっこうの餌となったようである。
かろうじて残った芽がすこやかに伸びてくれるのを祈るだけである。かたや、人参は一回目は芽が出ず、二回目にしてようやく芽が出たが、それもいつの間にか消えている。食害であろうか。
それにしてもよく降る。
間引きは日曜日まで待たねばならない。

セーターを着込む

コンバイン忙中閑なる雨寒し

盆地は稲刈りシーズンに入った。

今週末を穫り入れに当てていた農家は多いだろうが、この秋雨前線そして台風の雨ときて一週間近く日延べを迫られそうである。
それにしてもこの雨は寒い。
聞けば今日は11月の気温だそうで、長袖シャツでは足りずセーターまで着込んでもちっともおかしくない。
エルニーニョだかニーニャだかしらないが、太平洋西側の水温が高く、そういう年は多雪だと聞く。夏なら台風の雨だが冬はそれが雪になって積雪が多いということだろう。
気温の乱高下やら気象の大暴れやら、自分たちが犯した自然への冒涜にいまその報いを受けようとしているのだ。
科学を信用しないどころか無視する指導者が驚くほどいて、暗澹たる気分になる。

八年

売りものにくらべたくまし柿の種

まったくの自家製でろくな手入れもしてない。

そんな柿だから、たいして大きくはならないが身のほどをはるかに越えるくらい立派な種が出てきた。
お菓子の柿の種だってこれほど厚いのはないだろうと思えるほど大きい。
見るからに養分を含んで、これほど立派な種なら実生で芽がでるのは間違いないだろうが、柿は八年とか。生きてる保証もないし、鉢に育てるのも大変そうで、家人との話だけで終わった。

晩秋

うそ寒や稿の三行削られて

2枚程度書けと言うから2枚プラス3行書いたものを出した。

なんとかページに納めてくれるだろうという甘い期待は裏切られて、編集のほうでカットするという。
どこを削るか、もしかしてここは譲れないという部分だったらいやだなあと編集者任せと言うのもなかなか残酷なものだと思う。
もとは字数以内に納めなかった自分が悪いのだが。
仲秋の名月も終わると、もう晩秋である。
朝晩ずいぶん涼しいというより、むしろ薄ら寒い日が続くようになった。

劇的な変化

朝露の自領律儀に巡る猫

急に秋がやってきて一番驚いたのが朝の露である。

あれほど暑さにうだっていたのが、一夜で庭に露がびっしり降りているのを見ると季節の劇的な変化に驚かされるのである。
飼い猫のみぃーちゃんは、露を避けるでもなく草を踏んでテリトリーの検分にいとまがない。
しかし、あれほど密に敷いていた露も日が昇るといつの間にか消えていて、古人はかなさの代名詞として歌に詠み込んできたのである。俳句もむろん露は代表的な季題として数々の名句が生まれている。

露の世は露の世ながらさりながら 一茶

は彼の境遇ともあわせ広く知られた句であるが、俳句としての完成形からいえば、

金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎

は一級の写生句として、物覚えの悪い自分でもすぐに口をついて出てくるほどである。

木守柿

柿をもぐことのつひでに青きまで

意外に甘かった。

ぼつぼつと落ちはじめたし、数えるほどの数しかないので早めにもぐことにした。
ただ一個はもう鳥に食べられていたので、さらにもう一個鳥たちのために残して。いわゆる木守柿になるのだ。
何も手を加えない富有柿だから種はしっかりとある。それを放り出しながら柿を食うのである。

旅の一夜

取り分けて訛聞かせてきりたんぽ

黄金の田が一面に広がる頃決まって思い出す。

秋田路へは小町出身地と言われる雄勝町に入ったときのことだ。
おりしも盆地はどこまでも黄金色で、国道沿いには深紅の林檎が薄く粉を掃いたように鈴生りになっている。まさしく豊の秋であるが、その夜は角館の宿に一泊。
比内鶏、そして天然の舞茸を使った本場の豪勢なきりたんぽに舌鼓を打った。
小皿に取り分けてくれる仲居さんは、鍋の蘊蓄やら秋田音頭にでてくる秋田名物やらの話を訛たっぷりに面白おかしく聞かせて実に愉しい一夜。
仕事で出かけたのでのんびりという風にはいかなかったが、その夜のことは一生忘れられない旅の記憶につながっている。
掲句は、兼題「きりたんぽ」で今日の句会に出句したものの一部。