夜目白く垣になだるる雪柳
雪柳が始まった。
まずは花からということで、枯色がちな宵の庭を明るく灯してくれている。
萩と同じように四方にしなだれるように乱れながら、すこしの風にも枝を揺ゆらしているさまは仲春のほんわかとした宵の風情をましすものである。フェンスを超えるだけの丈は十分にあり、もてあました枝が垣の外にもあふれるばかりである。
今日はあいにく雨模様だが、咲き始めたばかりなので散るまでにもまだまだ時間があって、当分楽しむことができよう。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
夜目白く垣になだるる雪柳
雪柳が始まった。
まずは花からということで、枯色がちな宵の庭を明るく灯してくれている。
萩と同じように四方にしなだれるように乱れながら、すこしの風にも枝を揺ゆらしているさまは仲春のほんわかとした宵の風情をましすものである。フェンスを超えるだけの丈は十分にあり、もてあました枝が垣の外にもあふれるばかりである。
今日はあいにく雨模様だが、咲き始めたばかりなので散るまでにもまだまだ時間があって、当分楽しむことができよう。
金縷梅を見て道行きの半ばなる
春真っ先に咲くから「まんさく」だという。
なるほど、たしかにいつもの散歩道に早くから咲いていたが、今年は暖冬のせいか三椏、山茱萸など他に黄色い花を咲かせる木も同じくらい早く咲き始めたので目立たなくなってしまった。
この時期の落葉樹はほとんど枯れて木ばかりなので、黄色い花を見つけてはつど近寄って手にとって眺めるのが楽しい。
まるでマンサクの花のように心がほぐれる時間である。
山茱萸も三椏ももっと小さいので、金の糸がこんがらっているマンサクは少々派手にも見える。
もうしばらくは楽しめそうである。
おとなりの弁当のぞく遠足子
園児が何十人も、
今日の吟行は大阪・住之江公園だ。
名前からしてなにやらゆかしい。
が、昨年の台風の影響だろうか、大木が被害にあったまままだ完全には復旧しておらず、苑の手入れも十分ではないようだ。こんなところに何となく今の大阪行政の閉塞感をみるような思いである。
そうは言っても句材には事欠くこともなく、園児の遠足、球場の大学対抗戦、それも統合がうわさされる府大、市大だ。外野も草萌えはじめて、やがて緑の絨毯の季節だ。
道路をはさんで住之江ボートレース場。そう聞けば、風にも潮の匂いがしてくるような。奈良に住んで潮の匂いはずいぶん長いことかいでない。
野遊のボール蹴返す古墳かな
広々とした古墳公園の週末は家族連れで大賑わいとなる。
県内にこれといった動物園、遊園地、テーマパークの類いもなく、しかもここは県営の無料公園ということで天気がいいときは平日とはうって変わっての人出である。芝生の丘、たいていは古墳跡だが、にはシートを広げた家族、グループが半日、あるいは一日をボール遊びや凧揚げなどで過ごすのである。
舗装路は腰に響くので、できるだけ土の上を歩くように道を選んでいると、すると、遊びに来た家族やグループの間を抜けることになるが、どの家族ももちろん楽しそうである。とくに幼児がよちよちと傾斜ある丘を歩いたり駆けたりを見るのはこちらまで楽しくなる。
丘のいちばん上から四方を見渡すと、盆地を囲む山々が目に入り疲れた目も癒やされる思いである。
なにせ広いから駐車場が満杯になるまで人が押し寄せても、テーマパークのような過密感はまったくないところがまたいい。
国境(くなさか)のみな霞して山ばかり
霞して金剛山(こごせ)葛城山わきまへず
昨日の光景。
晴れれば毎日のように遠くがけぶるように靄がかかる。
山稜の襞もみな靄のなかで、盆地西部にでんとすわる葛城山や金剛山の境界も分からなくなる。
北の方をみれば佐保丘陵、奈良坂など京都に接するあたりも模糊としている。
こうなると冬の間あれほどくっきり見えていた高見山は今はすっかり靄のなかである。
宝くじ寄贈ベンチにあたたかし
ばか陽気といっていいような。
木洩れ日のベンチに腰掛けようとしたら、ベンチには宝くじ協会寄贈というタグが打ってある。
暖かくても、さすがにベンチにしばらくいると汗は引いてくる。
万歩計を見ると6千くらいを指している。あと4千目指してさあひとがんばり。
今日は雉子、鷹ともに遭遇せず。
春の日を透かしあらはる隠れ沼
普通なら気づかない小さな沼が、その存在を訴えている。
いままで全く気づかなかったのに、枯れ草のすきまから眩しい光りを返しているのだ。
やがて草が茂ると再び見えなくなってしまうと思われ、束の間の景色に違いない。
見たところ、小鳥の水浴びも出来そうなくらい水量もありそうだし、生きものだって棲息しているに違いない。
思いもよらないところで小さな命が育っているのだ。