流し見

鉾町の人寄せつけぬ気にふれり

とんだ場違いな気がした。

伝統臭が鼻について長くいる気にはなれなかった。おそらく京都の祭中の祭、ということは日本の祭中の祭ということになるが、あの高い鉾にも見下されているような、そんな惨めささえ感じたのだ。
所詮祭は祭、地域の人たちのものなのだ。自分たちの祭を愛するということは地域を誇りに思い愛しているわけだ。
第三者はへいそうですかいと言うしかない。
では自分にとっての祭はと自問するがこれと言ったものが見つからない。
そんなひがみ、ねたみも混じって祭のニュースを流し見している。

文化的生活

国宝の多き一国梅雨湿り

国宝の一番多い都道府県はどこか。

まず頭に浮かぶのは京都か奈良かだが、意外に東京である。
これは美術館などが多く美術工芸品が大半を占める。
二位が京都で、建造物では寺院などが多くて全国一。
そして、三位が奈良で法隆寺始め建造物も多いが、やはり仏教彫刻が多いというのが特徴である。
建造物や仏像などは観光収入以外によほど基礎体力がないと維持管理が大変で、小さな寺院などでは仏像博物館などに預けたままという例も多い。
まして日本には高温多湿という宿命を背負った国なので保存には大変な苦労があることだろう。当然国や自治体の保護がないと維持するにも大変である。
その文化財によって成り立つような観光県にも新自由主義的な政党の首長が誕生し、さっそく民族博物館のコストパフォーマンスを言い出した。大阪で文楽がやり玉にあがったように、背筋の凍るような文化財政策が幅をきかすようでは果たして憲法の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」さえ守られるのかどうか。
最近の政権党にも文化の薫りがする人材が見当たらなくなってきたようにもみえ、梅雨湿りでなくても心まで冷えてくる。

ご縁

棚経や墓仕舞などひとくさり

盆法会に菩提寺の老僧にお出でいただいた。

母が亡くなったときのご縁で檀家とさせていただいた縁で、毎年のお盆と節目の忌日にお願いしているお寺である。
住職をご子息に譲られてからは、なかなかお目にかかる機会がなかったのだが、今日はたまたま御大みずからの読経をいただくことができた。
この方は托鉢などによって廃仏毀釈のお寺を三つも再建され、その一つが大神神社の神宮寺で、先師が早くに亡くなられてその遺志をついで再建までこぎつけられた。詳しい縁起は平等寺ホームページをご参考に。
説法と言うよりも、予定時間をかなりオーバーして世間話に花が咲いたが、近年は墓仕舞いの相談を多く受けるようになったとのこと。さもありなんで、私もいずれ世話になるかも知れないと、松籟ご相談させていただきたいとお願いすることとなった。

サイン

梅雨留守の合間にはたす一仕事

梅雨と言っても梅雨ではない。

かと言ってかっと晴れた梅雨晴れ間でもなく、いわば梅雨と梅雨晴れ間の間隙。
今日はそんな一日であった。湿度こそ振り払いたいほどの粘着質的なものがあるが、曇り空で気温もいくぶん救われる日。
ここぞとばかり、やりたくても暑さでやれなかったことを一掃しようと畑へ出かけた。
ところである、ものの三十分ほどで音を上げてしまった。体が異常に発熱するようでそれ以上いたら危険というサイン。
這々の体で逃げ帰る始末となった。
だんだん無理が利かなくなってきたようである。

嫌われ者

ねずみ返しものともせずに葛かづら

葛嵐といっていい天気。

これが秋ならいくぶん涼しいのだろうが、なにせ梅雨明け同然の天気が続くのでかえって暑苦しさがますばかり。
国道を走るとかしこに葛がはびこって、フェンスはもちろん、河原、空き地、いたるところに進出して、秋になる前にこれを刈るのもさぞ大変だろう。
古人は衣服の繊維に、食料に、薬草に、おおいに利用したのだが、現代では嫌われ者のひとつとなってしまった。
人口減による放棄地、空き地が増えるいっぽうで、葛はますます勢いをましいずれ人の手も及ばぬ葛が原が全国のあちこちに広がりそうだ。そうなるとあとは森林化に向けて一直線。五十年、百年先のこの国の風景はまったく異なったものになるにちがいない。

煮えない

田水沸きうごめく蝌蚪の月遅れ

油面のようにぎらぎらとした光りを返している。

足を突っ込めばおそらく長くは入れないくらい熱く湯のようになっているはずだ。
そんな熱い水田にちょろちょろとうごめく黒いものが見える。
最近孵ったおたまじゃくしである。春の季語とされるが、種類によっては今ごろ孵化するものがいるようで、多分これは雨蛙の類いではないかと思う。
水深十センチ足らずの田水だから、晴天が三日も続けばたいていの生きものは煮えたぎったり、生息できないと思われるがこの逞しさはどうだ。
これらを狙って鷺の仲間が集まるのをよく見るが、日中のこの熱さでは鳥だって休んでいるに違いない。

間抜け

忘れ物取りに行く日の盛り

金輪際出ないと決めて以来。

日中こもりきりの日がもう何日か続いている。
夕方五時が過ぎて、もし風もあって日中の熱さが残っていなければ出てもいいが、あいにく夕方は夏至から二週間も経つと早く暮れかかってくる。人として活動できる時間が夏が深まるにつれて短くなるという皮肉。
こんなとき電車に忘れ物などして終点の駅まで来いと言われるようなら、どれだけ間抜けなことか。