浅酌

浅酌の余熱冷めて蛍かな

蛍にとっては顔を出せない日が続く。

蛍は、夕食にビールをいっぱいやって、醉いが抜け始めるころに現れる。
しかも、適度な湿度と無風という条件が必要なのだ。
こんなに、まるで梅雨明けと思われる日が、しかもこれからも雨の確率が低いとあっては、急に舞台を奪われたようなものだろう。
蛍の恋路さえ邪魔する今年の天気は一体どうなっているのだろう。

峠の茶屋

心太すすれば峠下るだけ
心太とどのつまりは酢を腹に

峠の茶屋の一服は心太。

山の清水で冷やされた心太をめざとく見つけたのだ。
峠とはいえ、この日は猛暑。心太など一気にすすってごちそうさまだ。
口の中を酸っぱさが走っただけだった。
あれはどこの峠だったか。

広重の男

萍や農人ひとり笠に彳つ

見渡すかぎりの植田。

一人の農夫が田の面をじっと眺めて動かない。
菅笠をかぶった男が身じろぎもせず立ち尽くす姿は、まるで広重の絵がそこに停止したままのように見えた。

恋の道具

ハンカチにおとな感じる少女かな

少年の頃、ちらと見たハンカチにフリルがついていた。

周囲にはそのようなハンカチを使う人は皆無だったので、いままで同級生としか思わなかった人が急に大人びてみえた。
汗じみた額を拭う仕草は晩生の少年をうろたえさせるには十分で、以来彼女は一歩も二歩もさきゆく大人として眩しい存在となった。
まさにハンカチは恋の道具となったのである。

川の主

石垣の目地に巳の字の青大将

護岸の目地を縫いながら青大将が登ってゆく。

登り切ったら動かなくなって植え込みにひそんでいる。四メートルの壁を登るのに疲れたか。
この川はしっかり防護壁で固められているが、その石の隙にひそむ鼠などを目当てにテリトリーとしているようで、川を泳ぐ姿を何回か目撃している。
コンクリートブロックを組むには、たいがいが交互に組み合わせながら積んでゆくので、青大将が目地にしたがって這い上れば自然に「巳」の字を描く格好になる。愉快な絵だが、二メートル近くもあるような大将クラスではいかにも気味が悪い。

大手を振る

黴のズボン鼻先に立つ車内かな
黴拭うてもとの箪笥の肥やしかな

思わず顔を見てしまった。

小便のしみが黴となったズボンが顔先にある。
電車の座席にすわっていたときのことだ。
世の中には、これほどとなっても無頓着なひとがいるのだ。
それにしても、度が過ぎてはいやしないか。
黴が大手を振って歩いているようなものだ。
背広を着ているので、世捨て人とは思われぬが。

一面の湖

ものみんな逆さに映る植田かな

盆地は青田にはまだ早い。

どの田も空だったり、電柱だったり、家だったり、ふだん気にせず見過ごしているものがみな逆さに映っている。
南北にゆったり裾野をひろげた三輪山も、その全容を田に映したまま、道行く人に従いてくる。
生駒など高いところから見下ろせば、いまの盆地は水をたたえた湖のように見えるかもしれない。