ちりぬるを

警備士の独り占めなる桜かな

春休みの学校に桜が満開だ。

児童も誰もいなくて、桜もちょっと淋しいのではないか。
この週末が過ぎるともう散り始めて、入学式までもちそうもない。
逆に、今年の卒業式は桜にお祝いされるという珍しい年ともなった。

家のなかに居ても目がしょぼつくが、これほどまでにひどい年もなかったので、外出は控えざるをえないのが心残りである。

貫く

転向の悪びれもせで卒業す
カルチャーの古典講座を卒業す

かつてのヘルメット組でいまだに行方知らずの猛者がいる。

学園闘争喧しい時代に、同じクラスや部活のなかまで何人も運動に身を投じていたが、たいていは就職活動を機に髪を短く切ってさっさと転向したのがほとんどだったのにである。
行方知らずの奴こそ真面目で、純真だったが、みずからの信念を曲げることもまたできなかったのであろうか。

いまどき、運動などに四年間を賭けるような学生はいるのかどうかしれないが、貫くのもまたひとつの生き方だろう。

日課

掃除機のポットに透ける春埃

サイクロン式だとかいってやたら吸引力が強い。

猛烈な勢いで回転する様子が、透き通ったケースからよく見える。
たまった埃の暈も目で確かめられるが、毎日掃除機をかけていてもどんどん溜まるようである。
前にも詠んだように、猫たちの毛がからんで団子のようになっている。

最近、その掃除機が床をスムーズに滑らなくなったので、メーカーに交換してもらった。毎日使っているとは言え、一年そこそこでソールのローラーがすり減ってしまうのは、いくら有名メーカーでもどうかと思う。

荒っぽい酒

燈台の崎旋回し磯開

第四日曜日は参加結社の月例会の日である。

が、今まで参加したのは一度きりしかない。
何となく敷居が高い雰囲気があって、尻込みしてしまうのである。
で、今日の兼題はと調べてみると「磯開」というのがあった。
魚貝や海藻類の解禁のことであるが、用例をみると海女、蜑が多く詠まれている。そんな磯開きの見聞はないのであるが、昔に漁港の安全祈願の祭に呼ばれたことがあるので、想像で詠んでみた。

汐祭と呼ばれるその祭は、神舟と呼ばれる小舟を仕立て、後には供奉船、お囃子船の一団が続いて海上で儀式を行うのである。
かつて時化にあって多くの舟が沈んだ場所に着くと、酒、米をふるまい三度旋回して母港に戻る。
直会では、漁港自慢の穴子づくしの料理と荒っぽい酒にもてなされ、漁師気質の一面にふれたのであった。

根比べ

根負けをしさう狭庭のいぬふぐり

枯芝の間から、青いものが顔を出している。

いぬふぐりだ。
種を靴につけてきたか、どこからか飛んできたのか。
去年あたりから、ぽつぽつ目立つようになった。
今のうちにと、一本一本抜いてはみたが、根こそぎとはいかないようで、またどこからか顔を出す。
いったん侵入したらなかなかしぶとい奴で、しばらくいたちごっこが続きそうだ。
歳時記にもちゃんと採り上げられている季題であり、よその野原で見る分には「春だ春だ」と喜んでいいが、自宅の庭となると厄介者である。
根負けしないようにせっせと庭に出なくちゃ。

石庭

荒砂の掃き目に点す落椿

白砂の砂に真っ赤な椿。

掃いたばかりと思われる白砂に、これまた落ちたばかりの赤椿のコントラストに目が集中する。
静寂のなかに身を置くと、全身で受け止めているような錯覚さえおぼえる。
椿で覆われつくされた径ももちろんいいが、たった一花そこにあるだけですべてを語り尽くしているのもまたいい。
椿と言えば、五色の椿で知られる白毫寺が有名だが、まだ一度もその季節に訪れたことがないのが残念である。

満五歳

つはりとふ兆しありしか孕み猫
大通り駆け抜け通ふ孕み猫
ここ二日通ふことなし孕み猫

子供たちが生まれたのは五年前のちょうど今頃だ。

それまで、毎日三度の給餌に欠かさずやってきていたのに、急に姿を見せなくなったのはどうやらそのときお産を迎えていたのだと後で分かった。通りをへだてた農家の納屋が産屋と見られ、その付近で何回か目撃していたが、一月半ほどして、早朝突然庭先に子猫四匹を連れてきたのには驚いた。
母親は前年生まれでふらりとやってきた野良ちゃんだが、もともと小柄で小太りしてたし、おなかも目立っていたわけではないのでまさか妊娠していたとは思いもしなかったのである。
その後の話は、ここで何回かふれた。
四匹のうち一匹は事故があったらしく突然姿を消したので、家にいるのは三匹で、今日は夕方から炬燵を入れてもらってのびのびして寝ている。