冬なか冬はじめ

県南の雲漆黒の冬至かな

吉野大峯の空が真っ黒である。

よく見ると、大阪南部より金剛山系を越えて流れ込んでいるようである。
あの分では南部の山は雪にちがいない。
おりしも今日はこの冬一番の冷え込み。奈良市内では氷も張ったようである。
わが家はさいわい外栓の凍結はなかったが、明日の朝は零度だというからまず逃れられまい。
昼間の室内温度が14度。夕方にはとうとう耐えられず床暖に加えてエアコン暖房も入った。
冬至は冬なか冬はじめと言われるように、暦では冬の折り返しだが、実感でいうとこれからいよいよ冬本番である。

陰に陽に

冠雪の山はるかにも県境

三重県境にある高見山が遠見にくっきり雪をかぶっているのが見えた。

西側から見ると高見山は三角の鋭い形をしており、いかにも中央構造帯にあるような急峻な面を見せている。
左下から右上にかけて遠くからでもよく見える何本もの陰影が入って、あれはおそらく地層が何層もあるに違いなく、山全体が45度傾げたような激しい運動の跡とみられる。おどろくべき構造帯のエネルギーである。
そばを通りぬけるときなぜだか恐怖を覚えるのは、そういう自然の力が陰に陽に人の心理を操っているとさえ思えるのである。
このような自然に恐ろしいほどに圧倒されるのは、立山横断の旅で大きな山がおおいかぶさるように迫ってくる恐怖を感じたときと似ている。
言い古された言葉ながら、人は自然の前では実に小さいのである。

頭の体操

歳晩のダイソーあれもこれも買ひ

百円均一に立ち寄った。

ショッピングカートを手にしたのがいけなかった。
一つ買うと、つぎつぎ目に入ったものをカートに入れてしまう。ひとつ百円だからという気分のなせるわざか、急を用意しないものまで買う始末になった。
そのなかには数独の名人編二冊を含んでいる。これでしばらく頭の体操もできるか。毎日新聞の数独欄を楽しんでいるが、簡単すぎて物足りないのだ。

悪循環

遅まきの歳暮まいらす故郷便

ようやく伊勢の芋が届いた。

これをお歳暮に贈るのであるが、いつもの年ならもっと早い。今年は天候のせいかどうかずいぶん収穫が遅くなったとみえる。
宅配営業所はといえば、歳暮ハイシーズンのころの荷物満杯に比べると落ち着いていていたが、年末に近づけばまた荷が増えるのにちがいない。人手不足の時節柄いっときの静けさとも言えるだろうか。
それにしても年末に郵便料金の大幅値上げのニュースが飛び込んできた。
土曜配達の中止、翌日配達の中止、サービスが落ちるいっぽうでの値上げとくればさらに需要が落ち込んで、値上げ->需要減の悪循環に陥りそうである。

週一

はてこれはどこの部位ぞと鮟鱇鍋
軟骨も捨てるところ無く鮟鱇鍋

一気に冷え込んだ。

こんな日は屹度鍋である。
具のメインは鮟鱇。海無し県でも切り身セットならスーパーで売っているらしい。福島はいわきの港にある直売所でよく買ってきたものに比べればちょっと貧弱だが、ちゃんと胆も入っていてまあまあと言うレベル。
ぐにゃっとして、鰭とも尻尾とも口とも、頭とも腹ともよく分からないものもあってしゃぶると結構ゼラチン、コラーゲンの塊だったり、軟骨そのものだったりするが、それはそれでまたいかにも鮟鱇といった具合である。
これからはざっと週に一回くらいは鍋ものがつづく。

強靱にして柔軟

寒風や竹しなやかにしなやかに

今日は風が強い。

おまけに冷たいときてるか、正面からまともに受けたら震え上がるほどであった。
いよいよ信貴山の方から吹き下ろしてくる風に悩まされる季節となった。
耳まで覆うキャップ、手袋してウィンドブレーカーを羽織らないと、体温を維持できそうもないくらい辛い季節である。
竹林もバキバキと音をたてつも、おたがいを支えにしながらあらがっている。根本からしなるような強靱な強さにはいつも感心するが、強靱でいて柔軟というものの逞しさを見るようである。人も組織も、ひいては国全体もこうでありたいと思うことしきりである。

催眠剤

暖房に人の背円く猫もまた

暖房を入れたらやっと静かになった。

日中暖かいときはおとなしくしているが、ちょっとでも寒くなる夕方になるとあれこれクレームを並べたてる。猫どもを黙らせる方法はただひとつ。床暖房をつけてやりさえすれば一発で収まるのが可笑しい。
同じことは人にも言えて、いくら外が荒れていようが暖房で体さえ温まればもう天国にいる気分ですぐに眠気がおそってきては誘惑に負けてしまうものである。かくて今日の予定が終われば猫どもと仲良くうとうとと。
寒冷前線が去っていよいよ本格的な冬到来である。