17年の句より(後編)

昨日に続いて今年後半を振り返ってみる。

夕刊の朝来る里のほととぎす
父の日の男料理の豪気かな
首を振る参千円の扇風機
手に触るるものを枕の昼寝かな
初しょうろさまを流して海昏るる
河原石積める垣内の鳳仙花
新涼のジャムの瓶開く音高く
陽石に蓑虫這うてゐたりけり
白無垢の芙蓉の底のうすみどり
右肩の少し怒れる案山子かな
こもりくもいよいよ奥の曼珠沙華
間引菜のひげ根もろとも椀に浮く
降り敷いてなほ隙間なく銀杏散る
急ぎとて一行の訃の入む身かな
ノルディックウオークの杖に秋惜しむ
防人の踏みし峠の鷹柱
木守柿終のひとつになれりけり
二三両こぼし萬兩紅つくす
いくばくの気流に鳶の小春かな
大綿の日陰に溶けてしまひけり

前半に比べると同じ二十句でも水増し気味である。
これを好きな順に並べると、

首を振る参千円の扇風機
夕刊の朝来る里のほととぎす
こもりくもいよいよ奥の曼珠沙華
右肩の少し怒れる案山子かな
ノルディックウオークの杖に秋惜しむ

これらはどれも即吟であった。得てしてあれこれこねくり回すときはたいした句じゃないときが多い。
今年も前高後低、好不調の波が多い年であった。来年こそ年間通じて平常心をたもち、安定した作句につとめなければ。

17年の句から(前編)

賀状も出して一息ついたところで、今年を振り返ってみる。

アルバムの校舎は火事の前のもの *
三輪山に鈴の音冴ゆる登拝かな
閏秒あるかなきかの去年今年
投げ独楽の宙に紐解く視線かな
春ごとの神のまぐはひ囃したて
朱印所の小窓閉ざして春火鉢
一瞥をくれて再び恋の猫
梅切り貼り桜切り貼り春障子
分骨の日取り定まる彼岸かな
初花の車窓となれる赴任かな
春装の小町通りにあふれたる
粉もんの軒を借りたる氷菓売 *
営業職なれば靴まで更衣
開け放つ牛舎突き抜け夏燕
むき出しの牛舎の梁の扇風機
万緑の見渡すかぎり寺領とや
参道の商家廃れて軒忍
酒船石涸るるにまかせ竹落葉
頬杖の手に握らるる扇子かな
百日紅ごと売りに出て二百坪

*のついたものは、結社の雑詠鑑賞でとりあげられた句である。
いつもなら前半後半それぞれ十句としていたが、いろいろ並べてみるとこの前半は比較的好調で、私個人の傾向がわりにはっきりと浮き出ているような気がして、好きなものばかり二十句となった。
なかでも、好きな順番で並べると、

一瞥をくれて再び恋の猫
梅切り貼り桜切り貼り春障子
百日紅ごと売りに出て二百坪
アルバムの校舎は火事の前のもの
初花の車窓となれる赴任かな

深刻に自己を見つめるというのではないが、それでもやはり主観は捨てきれないもので、客観写生に徹しきれない自分がいる。それを肩の力をぬいて軽くというか、さらりと詠めたのはよかったのではないか。花鳥諷詠、客観写生を標榜している結社において若干異端にあると自覚しているが、こうした好きな句がもっと数多く詠めるようになれば、それもまた吾なりと思うのである。

白熱灯の温み

電飾の昼の仕掛の冷たさよ

古墳しかない公園にクリスマスイルミネーション。

周りには、田んぼのほか何にもない真っ暗なところに突如として現れた。クリスマスウィークの間だけらしいが、なんでまたこんな自然公園に電飾までして寒い夜に人を寄せようと言うのか。
最近の電飾というのはLEDが主流だから、明るくてクリアな光りが特徴だが、灯りのトーンはどちらかといえば寒色系ではなかろうか。耐久性、経済性などには優れているが、従来の白熱電球とは異なって、どこか光りに温もりが感じられないのだ。
車で横目で見ながら通り過ぎただけだが、翌日昼間訪れてみると、木々や植栽などに配線や電球などが絡まっているよう
にも見えて、またまた寒々しくも映るのだった。

珍しい鳥

日時計のぢりと進むよ日向ぼこ

寒い風を避けて日だまりの広場で握り飯を頬張る。

広場の日時計はしっかり作られていて文字盤に影もくっきりと伸びている。冬至の翌日とあって影の長さは盤をらくに越えている。その指す位置は、さっき正午の放送があったばかりなのに、いくらか南中というか中心を過ぎていて、やはり子午線の明石よりも東にある所為なのかと思ったりする。
二つ目のおかか入りのを食べていると、近くの木に珍しい鳥が止まった。双眼鏡でのぞいてみると今までに見たことのない、全体に緑がかった、ホオジロくらいの大きさだ。ずいぶん長い間観察できたが、どうみてもアオジではなさそうだ。
さいわい、今日は日本野鳥の会の人たちが探鳥会をやっているはずなので、しばらくここで体をあたためてから、尋ねてみるのがいいと思った。
しかし、写真に撮れてなく、あれこれ言葉で伝えようと頑張ってみたが、私の情報だけでは何とも分からないと首をひねるばかりだ。家で検索してみると、どうやらノジコではないかと推察。ただ、レッドブックによると準絶滅危惧種だというし、夏の渡りの鳥でたまに残るのがいるらしいが、いまだに真偽のほどは不明である。

醸成

さきがけの臘梅の香に引き寄さる

冷たい風の中につんと刺激する香り。

臘梅が咲き始めたようだ。
ほとんどの芽はまんまるのままだが、一本の木に2、3粒程度開いている。
久しぶりに馬見丘陵を広く歩いたが、おかげでいろいろな句材があって詠みごたえある一日。
いろんな水鳥もいたうえ、斑鳩町のシンボルであるイカル君たちの群れにも遭遇したし、久しぶりにカワセミも見つけて寒い池も苦にならない。
目を上空に転じると猛禽、たぶんチョウゲンボウがかすめ飛んだり、高い木の天辺から風に散らされた木の葉が吹雪のように遠くに流れていったり、足下から身の回りすべてに材料が転がっている。
これらの感触を時間をかけて醸成すれば何とか句にはなりそうである。

火の用心

遠火事の容易ならざる煙かな

サイレンが街に響く。

何度も何度も響くので、相当の数の緊急車が出動しているようである。
気になって外へ出てみると、果たせるかな、火事である。
それも、かなりの距離があるのに真っ黒な煙が二上山を越えるかと思えるくらいの高さに昇っている。
この黒さは住宅の燃えるようなものではなく、なにか工業的な建物、施設に異変があったような感じである。
つい、何日か前の一年前に糸魚川で大火があった。
火の始末、気をつけなければ。

みぃちゃんの渡世

猫なりに適ふ場所ある冬至かな
野良なりに冬至の渡世ありにけり
野良なりに居場所ありける冬至かな

明日は冬至。

みぃちゃんが朝一番に日向ぼっこすると決めている場所になかなか日が届かない。
ビニール温室の屋根がいいらしい。ここは風も弱く、何より朝一番に日が当たるし、温室が温まりはじめると重量でお盆のようにくぼんだ部分が心地いいらしく一時間ほどはまったりできる場所だ。ビニールは昨年一年も保たず破れたので、今年は中に厚めのビニールを敷いて補強。多少居心地に不満があるようだが、それにも慣れてきたようである。
ここんところ家と家のすきまから届く日もしばらくは弱く、なかなかくるくるに寝まる体勢になれないようだ。これから三か月みぃちゃんに試練の日がつづく。