種まき日和

偕老のかたへ土のす大根蒔
大根蒔くそこな鴉のしりへざま

ポット、コンテナがいくらか空いたので大根を育てようと思う。

一鉢にせいぜい三本くらいのものだろうから収穫もささやかなものだが、本当の狙いは間引き菜である。
それこそ大昔に畑の間引き菜を食べてから、柔らかい食感と香ばしい香りが忘れられないからである。
なので、均一に蒔いて間引き用の苗を確保するつもりだ。
今日は、明日に備えてポットをよく洗っておいた。
明日は天気も良さそうだし、種蒔日和だろう。

災害は忘れないうちに

舫解く海は泥色野分あと

いろんなものがなぎ倒されていた。

朝起きてみると、片寄せておいたベランダや庭の鉢などがことごとくひっくり返されて、朝から片付けに追われた。とは言っても、水も電気もガスも問題なく使えるわけだし、店も普通通り営業している当地など、全国各地でひどい被害が出たのに比べれば何と言うこともない。
「災害は忘れたころにくる」といったことわざも、昔の話。3・11以降は「災害は忘れないうちにやって来る」「災害は必ず繰り返す」、いやそれ以上に「想定もしない災害がいつか襲ってくる」という認識に変わったかと思う。
台風だって最近は一年中発生するようだし、このような災害は何度も繰り返されるだろう。

日曜日夜、台風の行方に目をこらしながら、NHKスペシャル「黒潮」を見た。
列島にさまざまな恵みをもたらしてくれる黒潮だが、それにも最近は異変が起きているという。
漁業資源が減っている上に、出漁できない日が増えたり、挙げ句はいつミサイルが飛んでくるか分からないでは、漁業関係者にとっては切ないことだ。

ホーキンス博士が地球はあと100年しかもたないと警鐘を鳴らしているそうだ。それが本当かどうかはともかく、地球は未体験ゾーンへ突っ込みつつあるということだろうか。

備えあれば

単一の電池あらため野分なか

相当の風が吹くという。

盆地の小高い丘にいると洪水の心配こそないが、停電が起こらぬとも限らない。
最悪を考えて懐中電灯は用意してあるが、電池が何時間保つかはなはだ心許ない。
こういうとき、予備の電池があれば問題ないのだが、荒れ狂う野分のさなかとなれば一抹の不安は否めない。

愛雨の心

雨男ふらりの下駄の昼の虫

朝から雨だ。

台風にさきがけた秋雨前線が刺激されているらしい。
東北や関東の今年は雨年と聞くが、当地は暑さのピークからはやっと解放されたようでほっと一息付けている。
ただ、急に涼しくなったので、窓を閉めるだけでは足らず、昼には長袖シャツを羽織ったり、夜にはあたふたと蒲団をだしたり。
急に寒くなったので、虫たちの天国もさぞ短かかろうと思ったが、庭に出てみると雨に濡れた草の陰でいい声を聞かせてくれている。
愛雨のこころをもって受け容れれば、台風だって無事に過ぎ去ってくれるかもしれない。

刈り入れ近い

曼珠沙華真神原の畦にかな

真神原(まかみがはら)とは飛鳥寺を中心としたエリアをさす。

「真神」とは狼を神格化したもので、WIKIをそのまま転記すると、
『真神(まかみ)は、日本に生息していた狼(ニホンオオカミ)が神格化したもの。大口真神(おおくちのまがみ、おおぐちまかみ)、御神犬とも呼ばれる。
真神は古来より聖獣として崇拝された。大和国(現在の奈良県)にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
『万葉集』巻八には「大口の まかみの原に ふる雪は いたくなふりそ 家もあらなくに」(舎人娘子)と記され、少なくとも(大和国風土記の逸文と合わせ)8世紀からみられる。
人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。』

刈り入れが近い飛鳥の畦には曼珠沙華が咲き乱れている。
入鹿の首塚に手向けるようでもあるし、入鹿の血潮であるようにも見えてくる。

クールジャパン

水澄むや熊野を落とす筏衆

熊野川上流の北山川を流す観光筏が人気らしい。

全長30メートルに及ぶ筏が激流をうねるように下ってゆく。
客は転落防止の手すりにつかまり立ちのまま、飛沫を浴びるまま1時間ほどのスリルを楽しむ。
従兄弟の子が町から帰ってきて筏の仕事についていると聞いているが、こんな熊野の山奥にも外国人が訪ねてくれたり、探せばどこにも魅力を掘りだせるものだ。
IRかなんだか知らないが、日本人に馴染みのうすい博打リゾートを作って何のクールジャパン、日本再発見、再発掘になろう。

おどろのもの

あらためて昼見る花の烏瓜
白昼のおどろに咲いて烏瓜

この世の花とは信じがたいものがある。

初めて見たときの気味悪さというのはない。まるで粘菌のお化けのようだ。
これがあの烏瓜の花だと聞いて唸ってしまった。
烏瓜は、どちらかといえば、荒れた土地の、周りの葉が枯れる頃に赤い実を晒すことが多いので、このように真っ昼間から、白昼堂々と眼前に顔を出されればどのように対処していいのか戸惑ってしまうのである。
きのこ菌がアメーバのように四方八方に伸びたような姿は、どうみても日陰の身であるべきである。夜に咲くとは聞いていたが、お天道様の前でも我が物顔というのはなかなかしぶとい輩である。
しかも、もう仲秋になろうかという時期である。
澄んだ季節に、おどろおどろしたものはいただけない。