みぃちゃんのご機嫌

寝返りて乳房見す猫冬日向

警戒心を解くにゃん。

目と鼻の先の日向で猫が何度も何度もごろんごろんと腹をみせながらくつろいでいる。
天気もよくて暖かく、猫はご機嫌のようである。
この時期は冬毛に覆われて実際は乳房など見えないはずだが、時期がもう少し進めば孕み猫ならそれとはっきりと分かるくらいになっているだろう。

築地場外

年の市大和野菜に人集り
折り込みのチラシ片手に年の市

あと一週間もすれば店先には正月用品が並ぶようになる。

折り込みチラシの内容もがらっと変わって年末ムード満載。
飾りものはめっきり少なくなったが、海産物、水産物などは海外で獲れたものも加わって賑やかに。
いよいよ押し詰まってくると、築地場外、アメ横の人集りがニュースになる。インバウンドの賑わいも手伝って、通りはいつもに増して押し合いへし合いが予想される。
当地はそこまでのような景色はないが、年の瀬の雰囲気はそれなりにあるものだ。

それにしても、市場が豊洲に移転したとして、場外のお店はいったいどうなるのだろうか。変わらずにいて欲しいものだが。

庶民の口

寄鍋に遅れし人へ蟹の爪
寄鍋の衆みな眼鏡かけしまま
寄鍋の世話する人の赤襷
寄鍋の酒も尽きたる饂飩かな

空はいつからか雪催い。

昼間から灯りをつけて炬燵から出られない。
こんな日は鍋にかぎるというところだが、今年はやたら鍋の出番が多い気がする。
ただ、葉ものが高くて毎日とはいかないらしい。
蛤に蟹など魚介たっぷりの寄せ鍋もいいが、これも自宅でとなると相当ぜいたくな部に入りそうである。
鍋と言っても、せいぜい水炊き、牡蠣鍋くらいが庶民の口に合いそうだ。
さいわい今年は広島の牡蠣がことのほかうまい。奈良のような山ぐにでも新鮮なものが食えるのはありがたいことである。

体感温度落差

お旅所の演技納めて焚火かな

今日はおん祭お渡り式の日。

若宮おん祭は12世紀に関白藤原忠通が長雨による洪水、飢饉、疫病蔓延がつづく世の沈静を願って春日大社摂社の祭神・若宮の力を得ようとはじめた祭だそうである。それ以後大和一国国を挙げて盛大に行われ、八百七十余年つづく。
家の中にいると比較的暖かい日だが、外は寒風が強く体感温度の落差が激しい。
まして、メイン会場は大社の参道になるので、大きな松の木にさえぎられて日が届かず、行列を待つだけで凍えてしまいそうだ。
見物客は着ぶくれて見ているからまだましだ。昔ながらの衣装の行列参加者は見るからに寒そうである。
そうして、行列の終着地点・御旅所のまん幕の裏側には、出番を待つ、あるいは演技が終わったものたちのために大焚き火が用意されている。直径十メートルはあろうかという深い穴に、これまた太い切株などが何本も焚かれて、その周りを男たちがまんぢりともせずに囲むのだ。その輪の外でも大焚き火は十分に暖かくご利益をさずかることができる。

インフルが流行っているという。今日はやはり炬燵を決め込んでこもっているほうがよさそうである。

正月準備スタート

花卉商の三輪に奉ずる松迎

12月13日は「事始め」と言うそうである。

祇園の舞妓芸妓が恒例の挨拶をする光景がニュースになるのもこの日である。
今や「事始め」と聞くと正月のものではないかと思ってしまうが、実は正月を迎えるための準備をはじめる日のことである。
煤払い、歳暮もこの日からとされていて古い都の昔からの習慣である。
ここ奈良では、この日になると大神神社の二の鳥居前に立てられる一対の門松がニュースになる。県の花卉組合が奉納するものだが、高さ十メートル近い松を立てるにはクレーンの助けが必要で、完成するとそれはすばらしく立派なものだ。
これによって鳥居前の広場が一気に年の瀬のものになるのだ。
「松迎」とは門松用の松を切り出すことを言い、ホトトギス歳時記には上げられてないが「事始」の傍題として十分通じるものと思われる。

いっぽうで、ほだか亭の煤払いは年末、年も押し詰まってのことになりそうである。

眠れよい子よ

室咲いて嬰に和める医院かな

みんな月数を尋ねる。

一か月の嬰児が母親に抱かれてすやすや眠る。ときに笑顔を見せるのは、夢の中でもお母さんにあやされているのかもしれない。
病院で順番を待つ時間というのは何とも味気ないものだが、安らかに眠る赤子を見ていると、部屋中に何とも優しい和やかな気分が広がるのだった。

ほんまもんの鍋

闇鍋へぶつ切りの葱溢れしめ

冬葱が甘い季節。

ざくっと切れば涎のような粘液、ヌルがあふれてきて、これが冬に増えてきて、免疫細胞を活性化させるという。やはり葱の旬は冬なのだ。
東京に出て、青い部分を捨ててしまう葱をみて驚いたものだ。はじめの頃はどうしても白ネギに馴染めなかったが、いつしか虜になっていたのは冬の甘味のせいだろう。
それから、本当にうまい葱というのは、肉抜きのすき焼きとして食える。肉の代わりに麩を使うだけだ。肥えた土、無農薬、有機栽培に育てられた九条葱をいただいたときはその旨さに声を失うくらいだった。あんなにうまい葱は、店では絶対に手に入らない、名人の葱だ。
今でも毎日畑へ出られているだろうか。