木下の星

雨兆す庭しろじろと鴨足草

「ゆきのした」と読む。

花が鴨の足を広げた形に似ているからだという。五弁のうちの真ん中が長くのびて、まるで水中で足を伸ばしているかのように見える。
去年通販で買ったそのユキノシタがずいぶんと株を増やして、しかも花をつけはじめたようだ。株が増えるのは、苺のランナーに似て、蔓が縦横に伸びて根を下ろしそこにまた新しい株が生まれる。
今日は株分けして形を整えるとともに、一部を摘んで天麩羅にしてもらった。時期が遅かったせいか、苦くも辛くもなく何の味もしなくてがっかりしたが、固くはなかったことでもあるし、薬草でもあるので旬の物を食することは悪くはないように思える。

木陰を選りて

軽暖のバギーむづかる嬰児かな優良児

簡易型のバギーからはみだした幼児の素足に何か塗っている。

親の顔や腕、足にも塗っていたから、おそらく日焼け止めクリームだろう。
奈良駅が近くなって、外国人親子連れが町歩きの仕度を始めたようだ。
紫外線が意外に強いこのごろ、とくに西欧人にとっては大敵なんだろう。
混み合う車内で、体全体がっちりシートベルトに固められては幼児もさぞ暑いとみえて、さきほどから機嫌が悪い。
駅を出ればいくらか涼しいかもしれないが、登大路をまっすぐ行く道はすでに気温が20度を超えている。鹿さんをみたら機嫌がなおるかな。

今日から夏。やはり季節の実の歩みのほうが早い。

ホームセンター通い

もつれつつ大和川へと夏の蝶

今日もさわやかな薫風。

昨日今日とホームセンターへ行っては、あの苗この苗この種と買うのに忙しい。
胡瓜のネットを張り、苦瓜のネットも二年ぶり。
前回は二人暮らしでは食べきれないくらいの収穫だったので、このたびは一株ずつに抑えたがはたして。
そうこうしているうちに明日はもう夏。目にした蝶も薫風に流れるように車窓を過ぎっていった。

威風堂々

大和棟辺りを払ひ鯉幟

学園前というのは奈良でも一二を争う高級住宅街。

帝塚山大学が駅の南にあり、その周囲に伸びている住宅街である。
電車からは豪壮な家が立ち並ぶのが見えるが、近代的な住宅街にこれぞ大和棟という立派なお屋敷があることに今さら気づいた。折しも、屋敷に負けないような大きな鯉幟が泳いでいる。
構えは大和の伝統的な古民家風であるが、比較的新しい建築だから家の中は意外にモダンなのかもしれないが、まわりは今風の住宅ばかりであり、異彩を放っている。

袋角はおとなしい?

袋角鹿の子模様のうっすらと

奈良の鹿は相変わらず観光客に大人気。

ちょうどこの時期袋角が出始めて二段目までを形成中。なかには二段目の先が分岐し始めて三叉になりそうなのもあって、最低でも4才と分かる。聞くところによると、鹿の角の分岐は四叉までだそうで、そうなると5才以上の証明となるらしい。
なかには、まだ幼い袋角で、体側をみるとどことなく鹿の子模様が残っていそうなものもいた。
袋角の時期の鹿は、秋の繁殖期に比べると心なしかおとなしいような気がする。体をぽんぽんとたたいてみても何の反応もない。煎餅を持つひとを追う仕草もどこかのんびりとしているようだった。
ただ、袋角を触わられるのはさすがに嫌がるみたいで、するりと逃げられてしまった。

100時間/月?

メーデーの列を落伍の銀座かな

ハイキングにでも来たような気分と言おうか。

そんな人たちが多くを占めるようになって、家族連れで参加する人は多い。
私はと言えば、員数合わせの動員をかけられて参加したものの、生来のノンポリ派だから、シュプレヒコールという前時代的なものや、あのメーデー歌に始まる胡散臭さには馴染めずに、式典が終わって都心の行進に出たのを幸いにこっそり抜け出したのだ。
のちに、労組専従役員となって先導する立場になっても、恒例の祭だからと言って割り切ることはできず仕舞いで、どうしてもあの行事には馴染むことができなかった。
今は、労働組合もずいぶんおとなしくなって、月100時間までの残業ならかまわないとするらしい。これは、月に四回休日出勤して32時間、毎日残業3Hして66時間、そういう働き方になる。
それでなくても、正規雇用、つまり労働組合に守られているはずの人々がおかしいと思わないのがどうかしている。

いつかリターン

行春の乗らぬバイクを診たりけり

素晴らしいマフラー音。

お向かいさんから大型バイクが引き出されて、今日もエンジンを回しているようだ。
子供さんが小さいうちは乗らないと決めたかのように、ただ調子を見るだけに終始すること月に一二度ほどあろうか。
このように、多くのライダーにとってツーリングというのは子供さんから手が離れるまでは我慢を強いられるのが普通だ。
50才くらいになってから再びハンドルを持つのを「リターンライダー」と呼んで、大型バイクの需要はそこそこあるようだ。