蒲公英の全き球の絮透けて
蒲公英の絮の真円全けく
写真に撮ってないのが残念だ。撮ってきた。
それくらい、見事な球で、絮を通して向こうが透けて見えるという、今まさに飛びゆこうという寸前の状態である。
これを句会当日に詠みたかったのだが、思うようにものにできなかった。
今日も試してみたが、寸足らずの説明に終わっているのが悔しい。
手練れならこれをどう詠むだろうか、聞いてみたいものである。
明日は立夏。
これまで夏を待たずに夏の季語ばかりを詠んでいたので、たまには春の季語も詠んでみた。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
背嚢の飯を気にする薄暑かな
今日はとうとう気温30度を超えました。
無理すると熱中症になりかねないので、外の作業は10時が限界です。
もっと暑くなれば8時まで。
若い頃は真夏でも2ラウンドのゴルフをこなしたものですが、今じゃとてもとても。
冷やした麦茶がおいしい季節です。
先住の鶯巡り来る団地
ポストから朝刊を取り出したまま聞き惚れている。
あの、桐の花のある森と住宅地の境界あたりで谺するようによく聞こえてくる。
この住宅地は山を切り崩して造成したものだから、鶯にとっては人間たちはとんだ侵入者なのだが、まだまだ緑が多く残されているせいか、機嫌を損ねずに唄ってくれているようだ。
今年はずいぶん早い時期から鳴いていて、ますます喉には磨きをかけていそう。夏にはさらにいい声を聞かせてくれるだろう。
桐咲いて今ひとたびの花明り
朝カーテンを開けて驚いた。
八幡さんの森にひときわ目立つ紫がかった花木がある。桐の花をみつけたのである。
距離でいえば自宅からは100メートルもないくらいで、同じ傾斜地にあって一段小高い森の一角だからよく見えるのである。
あの辺りは今月前半に毎日のように窓越しに桜を楽しんだあたりで、周りが新緑に包まれる頃となって忽然と主役に躍りでてきたようなものである。
というのは、ここにすんで5年になろうというのに、今まで桐があることなど全く気づかなかったのである。2,3年前には桐の花を求めて、わざわざ当麻のほうまで出かけたというのに、なんとも迂闊な話である。
灯台下暗しというか、普段見ているつもりで実は見ていない、ということだろうか。
雨上がる明日は畦塗日和とか
昨日今日と久しぶりによく降った。
大和盆地はまだまだ先だが、奥大和は一段寒いせいか、田植え準備に忙しい頃。
山間だからどうしても田は広くつくれないし、おまけに形も曲線の多い複雑な形になりがちである。したがって、畦塗りの正確さが求められるわけだ。
昨今は、畦塗りをしなくてもいいように波板を巡らしただけというのが多いが、宇陀の車窓からみえた景色では何枚もの田がすべて絵に描いたように鍬で塗られた見事なものだった。
この畦塗りがおわり、あとは水を張るのを待つだけの期間というのは、おそらく長くはないだろうが、畦の美しさに目がとまる限られたチャンスである。