寸足らず

蒲公英の全き球の絮透けて
蒲公英の絮の真円全けく

写真に撮ってないのが残念だ。撮ってきた。

蒲公英の絮

それくらい、見事な球で、絮を通して向こうが透けて見えるという、今まさに飛びゆこうという寸前の状態である。
これを句会当日に詠みたかったのだが、思うようにものにできなかった。
今日も試してみたが、寸足らずの説明に終わっているのが悔しい。

手練れならこれをどう詠むだろうか、聞いてみたいものである。
明日は立夏。
これまで夏を待たずに夏の季語ばかりを詠んでいたので、たまには春の季語も詠んでみた。

ときの熟成を待つ

手に取りてなんじゃもんじゃの香に咽ぶ
園薄暑見るべきほどのものは見し

なんじゃもんじゃ(ひとつばたご)

ホームグラウンドの馬見丘陵公園へ吟行。

すっかり初夏の装いで、行くところ句材の山で、ひとところに落ち着いて詠むゆとりもないくらい。
締め切り時間ぎりぎりに何とか五句投句。
互選にはずいぶん拾っていただいたとは言え、満足度としては低いのが困ったもの。
自分のうちにおさめて時間をかけて熟成できればいいが。

麦茶がうまい

背嚢の飯を気にする薄暑かな

今日はとうとう気温30度を超えました。

無理すると熱中症になりかねないので、外の作業は10時が限界です。
もっと暑くなれば8時まで。
若い頃は真夏でも2ラウンドのゴルフをこなしたものですが、今じゃとてもとても。

冷やした麦茶がおいしい季節です。

機嫌良くお願いします

先住の鶯巡り来る団地

ポストから朝刊を取り出したまま聞き惚れている。

あの、桐の花のある森と住宅地の境界あたりで谺するようによく聞こえてくる。
この住宅地は山を切り崩して造成したものだから、鶯にとっては人間たちはとんだ侵入者なのだが、まだまだ緑が多く残されているせいか、機嫌を損ねずに唄ってくれているようだ。

今年はずいぶん早い時期から鳴いていて、ますます喉には磨きをかけていそう。夏にはさらにいい声を聞かせてくれるだろう。

胡乱な記憶

桐咲いて今ひとたびの花明り

朝カーテンを開けて驚いた。

八幡さんの森にひときわ目立つ紫がかった花木がある。桐の花をみつけたのである。
距離でいえば自宅からは100メートルもないくらいで、同じ傾斜地にあって一段小高い森の一角だからよく見えるのである。
あの辺りは今月前半に毎日のように窓越しに桜を楽しんだあたりで、周りが新緑に包まれる頃となって忽然と主役に躍りでてきたようなものである。
というのは、ここにすんで5年になろうというのに、今まで桐があることなど全く気づかなかったのである。2,3年前には桐の花を求めて、わざわざ当麻のほうまで出かけたというのに、なんとも迂闊な話である。

灯台下暗しというか、普段見ているつもりで実は見ていない、ということだろうか。

枝を揺らすもの

椋来たと思へば鵯も山桜桃

隣地は更地にして果樹畑。

山桜桃

どうやら、山桜桃のようである。
3月には咲いて、サクランボに似た、幾分小さなめな実が熟しかけてきたようで、この2,3日鳥が来ては啄んでゆく。今朝などは、椋鳥の家族がしきりにつついていたと思うと、そのあとはいつものヒヨドリ軍団がやって来た。
ときどき、雀も混じって(もちろん山桜桃が目的ではないだろうけど)枝の中に消えてゆく。

数本ある山桜桃では熟すにも遅速があるらしく、この木が終われば次はあの木へと、鳥たちにとっては都合がよさそうである。
今またムク軍団が来て、あちこちの枝が揺れている。

チャンスを逃すな

雨上がる明日は畦塗日和とか

昨日今日と久しぶりによく降った。

大和盆地はまだまだ先だが、奥大和は一段寒いせいか、田植え準備に忙しい頃。
山間だからどうしても田は広くつくれないし、おまけに形も曲線の多い複雑な形になりがちである。したがって、畦塗りの正確さが求められるわけだ。
昨今は、畦塗りをしなくてもいいように波板を巡らしただけというのが多いが、宇陀の車窓からみえた景色では何枚もの田がすべて絵に描いたように鍬で塗られた見事なものだった。
この畦塗りがおわり、あとは水を張るのを待つだけの期間というのは、おそらく長くはないだろうが、畦の美しさに目がとまる限られたチャンスである。