至る処

朱印所の縁にくつろぐ秋日和
朱印所は庫裡の縁なる秋日和

不退寺の朱印所は寺務所兼の庫裡の縁側である。
縁に座れば庭の草苑に様々な秋の句材が見えてくる。
集めた句材を句にしようとひとしきり縁で思考を巡らすが、ただ心地よい秋日に誘われてリラックスするばかり。
だが、意外に句友との会話の中にヒントをいただくこともあるので、雑談もおろそかにはできないものだ。
現に、昨日はそのような雑談や仕草のなかから佳句がいくつか生まれたようだった。
見逃さず句に仕立てたのはさすがの手練れで、学ぶことの多い一日であった。

伝業平朝臣墓

業平の供養塔訪ふ秋暑し

定例のまほろば句会は不退寺へ。

句材は多かったのだが、見事な菊が咲いているわけでもなく、どれも地味なものばかり。
その繊細さをいかに詠むかに苦心惨憺させられた。
締め切り5分前になってもまだ3句しかできないという、今まで経験したことのないピンチには焦った。
やむを得ず数だけは合わせたので、結果は最初から知れている。
時間をかけて句に仕立てられればいいほうだろう。

不退寺の裏手に業平の墓があるというので、いろいろ探しまわったら石段の奥に見つけることができた。
行ってみると墓ではなく、たいそう立派な供養の五輪塔であった。

修学旅行生の銀座通り

東西の伽藍を結ぶ紅葉かな
大寺の松の下には薄紅葉

法隆寺といえば大きな松のイメージがあるが、境内に入ると桜もあれば紅葉もある。

夢殿がある東院と五重塔のある西院は長い一直線の石畳で結ばれていて、その石畳はそのまま西院の西端まで伸びているので非常に長い通路である。季節にはその通路を全国各地からの修学旅行生が行き交うのも法隆寺の風物詩だろう。
その通路とも言うべき石畳の連絡路には、北側だけに桜が植えられていて春には春の、秋には秋の彩りを添えている。どうして南側にないのか理由は分からないが、この片側だけ控えめに植樹されているところはまるで大路のような風格があって大変好ましい。

もう桜紅葉が始まっていて、松の濃い緑とのコントラストがこれから際だっていくシーズンを迎える。

気息奄々

息づかいだけを残して秋の蝶
息づかいあるかなきかに秋の蝶

尾羽打ち枯らし秋の蝶

ぼろぼろになった翅を休め、じっと動かない。

動きはまったく感じられない静の世界の中に、聞こえることのない蝶の息づかいがだんだんと目に見えてくる気がした。

眉刷きのような雲

里の柿買うて金剛山雲高し

今日は橿原考古学研究所長菅谷氏の講演会に顔を出した。

何でも、橿原市・明日香村・高取町の三自治体が協力して世界遺産登録を目指そうとしていて、その前段である「日本遺産登録」された記念の講演だそうである。
テーマは「日本国創成のとき〜飛鳥を翔た女性たち〜」で、推古以降持統に至るまでの女帝の「女帝中継説」的扱いに再評価を求める話であった。
現在氏が寄稿する日経新聞夕刊のコラムは、扱う話題も幅広く内容的にも超一級のエッセイストぶりを発揮されてるので、今日の講演を早くから予約して心待ちにしていたのである。
風邪を引かれて喉の調子はみるからに辛そうだったが、氏の話は期待に違わず示唆に富むこと多く、また大変ユーモアに包みながらお話しされるので予定時間はまたたく間に過ぎていった。

会場を出ると秋の雲が流れる青空を背景に畝傍がすぐ眼前に見える。天気がこれ以上ないくらいよくて、秋の日差しもまだ時間が充分あるので飛鳥を歩くことにした。

修学旅行生

水彩の達人

里の柿

自転車で散策している修学旅行生のお嬢さんたちやら、飛鳥の田園風景を描いている日曜画家と立ち話したり、途中酒舟石前では地元の柿を買ったり。

飛鳥から金剛・葛城を望む

さあ帰ろうと振り返ったら、金剛山から盆地にかけて眉刷きのような雲が流れていた。

鬼皮と知る

栗を剥く専用ナイフの講師かな

天津甘栗が好きである。

天津甘栗なら腹を爪で軽く割り、親指で横に強くつぶせば簡単に取り出せて何の問題もない。
しかし、茹で栗を手で向きながら食べるときに爪を傷つけたりするし、栗飯、渋皮煮、栗きんとんなどに料理する場合など皮の処理が問題となる。
見るとはなしに見ていたテレビの料理番組で渋皮煮なるものを作る場面があったので最後まで見てみた。
表の強面を鬼皮と言うのを知ったのもこのときである。
思ったのは、皮処理の壁さえ乗り越えれば、あとは大してむずかしくはないようであった。

店に出回っている時期であるので、甘い渋皮煮など作ってみるのも悪くなさそうだ。

ルーチン

巡察の鵙のまた来る律儀かな
巡察の梢に鵙の幾たびか
高枝の鵙の尾羽ふり飛ぶ構へ

同じ場所を巡回しているようだ。

観察していると、一日に何回も同じ枝に止まり、高鳴きし、尾を振るわせては次の枝や屋根に飛んでいく。
テリトリーが確定するまでは気が抜けない日々なんだろうな。
逞しく、しかしどこか哀れでもある。