植生の効用

溝蕎麦の大河に注ぐところまで

信貴川というと大変立派な川のように聞こえるが、実際には小さな流れである。

信貴山の麓から大和川に注ぐまで、距離にするとわずか2,3キロ程度であるうえ、途中灌漑用にも溜められているので流れも細い。

大和川と言えばかつて汚染度全国ワーストワンだったが、生駒や奈良方面の住民の努力などで多少は改善されているがそれでもワーストファイブには入るだろう。原因は下水道普及率の低さである。
新しい住宅地では下水道も整備されてきてはいるが、いまだに汚水を直接川に流す家もあり、この信貴川も例外ではない。そのような一帯には悪臭も漂うが、大和川に注ぐ寸前にビオトープに誘導してこの水を濾過しているのが救いである。

さて、その信貴川であるが、決してきれいとは言えない川の両岸に、昨日の散歩で溝蕎麦が満開であるのを発見した。コンクリートで護岸された川にも土砂の堆積などがあると植生が芽生え、このような群落を形成するようになったのだろう。この群落も一種のビオトープと言え、何とか維持してもらいたいものだ。
こうした、ちょっとした工夫などが大和川の水質改善、保持に貢献するにちがいない。

稲刈り始まる

初鴨の動くともなき中洲かな

大和川にようやく鴨がやってきた。

足首の痛みもだいぶ引いたので久しぶりに近所の散歩に。
大和川の鳥たちのたまり場に沿って注意深く見てきたが、JR関西線大和川鉄橋付近に4羽の小鴨が休んでいるのを発見した。いつものように餌をしきりに取るのでもなく、流れの速いところを避けてじっとしている。
中洲にあがって動かないのは、まるで長い旅の疲れを癒やしているかのようだ。

この先、上流500メートルのあたりに100羽ほどのヒドリガモが飛来し、つぎに大和川鉄橋付近に真鴨が来るといよいよ冬の始まりだ。

稲刈りが始まったようだし、駅前の桜もきれいに紅葉し始めた。
久しぶりに秋を惜しんで近所を歩いたらいいレフレッシュとなった。

テレビで吟行

取り分けの菊を地蔵に白川女

実際に見たわけではなく、BS3のシーンからいただいた句である。

今どきの白川女は軽自動車だ。かつてのように頭上の簑に花などを盛って一軒一軒得意先を訪ね回った姿は、さすがにもう見ることはない。伝統の出で立ちは地元保存会の努力によって辛うじて受け継げられているというが。
ある白川女は、行商に出るたびに家に置いてきた乳幼児の無事を祈って京の子安地蔵に花を供えた習慣を今も忘れず、行商が終わると必ず地蔵様に立ち寄って新しい花を手向ける。

これは石仏や地蔵さんが辻つじにある京都の風景を描いた番組だったが、最近はこのような番組はなるべく録画して、あとで句帖を手にじっくり見ることが楽しみになっている。言ってみればテレビ画面を通した吟行みたいなものである。遠くにいても句材には困らない。いい時代になったものである。

NHKはCMを流さないかわりに番組宣伝をさかんにやってくれるので、こうした日本人とその生活、地域の風土などを流してくれる番組を拾いやすい。
つい最近だが、毎週月曜日から土曜日の朝7時から毎日10分間、過去に放送した番組の中から里山の暮らしを抜き出した番組があってファンになった。番組の最後に象徴的な意味合いで季語も紹介されるのがまるで映像歳時記のようでもある。
いつ頃から始まった番組かも分からないしいつ終了されるかも分からないが、続く限りは取り続けたいと思う。

今後こうした番組からヒントを得た句が増えるのは間違いないだろう。

短髪に

鯉口の業平模様松手入
親方も施主も二代目松手入
二代目の紺足袋さまに松手入
紺足袋に葉屑こぼれて松手入

法隆寺の立派な松は手入れを待つばかりに伸びている。

その伸びた枝葉には新松子(しんちじり)と呼ばれる青い松毬もすっくと立っている。
松手入れというのは、あの混み合った枝を剪定し、葉をむしる「もみあげ」と呼ばれる作業であるが、こうするとちょうど散髪屋で短めにカットしてもらった頭のように、さっぱりとした姿になって下から見ても空が透けて見えるようになる。

松の寺だけあって、すべての松の手入れを終えるにも時間がかかりそうだが、果たしてそれはいつ頃着手するのだろうか。「松手入」は秋の季語なので、近いのは間違いない。

末枯れゆく

敗荷のさらばふ鉢の寺紋かな
敗荷の鉢に委ねてやすらへる

半ば枯蓮と言っていいかもしれない。

葉が痛んでもう夏の充実したものではない。
軸もかなり細ってきたのに、よくあの重い葉を良く支えているものだと思う。
風でも来ようものならその無骨な骨も折れて、葉もろとも枯れ蓮になっていくのだろう。

それにしても、秋の歩みが急テンポである。
うっかりうたた寝でもして風邪などひかないように。

落ちて行く

水口の湿りわづかに落し水

盆地の田の早いところでは稲刈りが始まったようだ。

多くはこの週末で、来週中には大方は刈田になると思われる。
2週間ほど前には水口を切って水が落とされ、なかにはビニールの烏を吊したり、キラキラ光るテープを巡らせて鳥の害を防ごうというところもある。
詳しくは知らないが、最後の2週間ほど水を遮断することによって実入りを良くする効果があるのだろう。

水がほとんど落ちて田が乾き、ひび割れも生じてきているが、残り少なくなった水を追いかけてニナやザリガナが集まっているのを見かける。なかには用水、側溝にまで落ちた水に混じってニナが見られる。
このように水がすっかり落ちたとき、ザリガニやニナなどはいったいどこへ行って命を継ぐのか気になってならない。

謂はぬ色

山梔子の核に灯しの兆しある
山梔子の胴の内より灯りそむ

山梔子は梔子の実をいい、着色料や生薬の材料となる。

梔子色とはこの実から抽出される黄支子(きくちなし)に紅花を重ね染めた黄赤色で、かつては高貴な人(皇太子)にのみ許されたという。
7月に花が終わると大きな実を残すが、9月末ころから徐々に色づきはじめ、11月には全体が見事な色に染め上がる。
ちょうど今頃は色が出始めて間もなくて、青い実の胴体の中というか芯がほんのり黄色味がさしている程度である。

この色は「口なし」の連想から「謂はぬ色」との別名を持ち、古今集などの古歌にも詠まれているようだ。