鶏食はぬわれに縁なしクリスマス
今日はクリスマスだという。
クリスチャンでもなく、小さい子もいない我が家には全く縁がない行事。鳥嫌いだから七面鳥はおろかチキンすらなく、甘い物をおさえているのでケーキもない。まったく普通の夜である。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
鶏食はぬわれに縁なしクリスマス
今日はクリスマスだという。
クリスチャンでもなく、小さい子もいない我が家には全く縁がない行事。鳥嫌いだから七面鳥はおろかチキンすらなく、甘い物をおさえているのでケーキもない。まったく普通の夜である。
海鼠とは出土されないものなりし
初めて食ったのはやっぱり縄文人だろうか。
英語でいうとsea cucumber。たしかに棘があるところなど、太い胡瓜に似ていると言えば似ている。縄文人は海のもの、山のもの、多種多彩なものを食していたので、無骨な生き物とはいえ簡単に手に入る海鼠も当然食べていただろう。
だが、発掘された遺跡からは猪や鹿、鳥の骨などが発見されているが、海鼠の痕跡は聞いたことがない。棘皮動物なので骨もなければ、腸すら海鼠腸にして食ってしまうほどの日本人だからなおのことであろう。
今日は今年後半から。
なお、◎は俳句会特選句。
七月
方舟のバランスとりて蓴採る
行きずりのハイカーくぐる茅の輪かな
切麻の散らばりしまま御祓果つ
昂ぶりて誘いあはする夜振りかな
やり過ごすつもりの雷の長々と
雨の夜のかをりよどめる女王花
八月
手甲のままに摂待受けにけり◎
うつすらと実むらさきとはなりにけり
寄りあうて色づきあうて式部の実
さながらに白磁玉杯花芙蓉
白靴で豪華ヨットの客になる
走り根をまたぎ跨いで蟻の道
口上をさずけ盆礼遣はしぬ
九月
ひとむらの竹をよるべの秋蚊とも
水澄めりもはや木橋もなきあたり
露けしや閼伽井の小屋のかたぶきて
鰯雲末広ごりに覆ひくる
色浅きまま照り合うて椿の実
陵はねむり木の実を太らしむ
十月
靴脱いでやうやう気づく草じらみ
ことごとに言問ひ歩く千草路
紀の川となる水澄める吉野かな
水引の糸のもつるることなげに
十一月
橋脚のさまであらはに冬の川
大綿の柱なすともなく群れる
冬川原近道にして沈下橋
ばったんこ錆びたる音を打つばかり
十二月
白壁にさゆるる影の紅葉かな
枯蓮のかのもこのもの庭湖かな
山茶花の散りも散ったり紅の庭
投句箱据ゑて間遠の添水かな
胎内に入らば凩やさしけれ
尾根小屋の風に馴れにし氷柱かな
お渡りの仕丁焚火にゆるびけり
白足袋の隊士担げる野太刀かな
白足袋の隊士脇目もふりやらず
おん祭稚児よく的を射貫きけり
交名(こうみょう)の風にちぎられおん祭
槍術の錬士気を吐くおん祭
一の鳥居すぎて底冷つのりくる
自分なりにまあまあの出来と思うものを整理してみる。
今日は今年前半から。
なお、◎は俳句会特選句。
一月
御旅所の雑司ら囲む焚火かな
餅搗を終へし臼より湯気上る
子らのみな夜さり出払ふ大晦日
大鴟尾の朝日を返し淑気満つ
門あけて仕事始めの公舎かな
破魔弓を授ける巫女の上気せる
粕汁の甘口仕立子だくさん
すべり台すぐ飽きる子の着ぶくれて
焼藷の新聞重ねなほ熱し
やがて打つ鬼にも慈悲の御膳かな
四日目となれば四温のありがたき
二月
仕留しを口々にほめ薬喰◎
宮の守ガイドをしつつ落葉焚く
病む猫の寝息うかがふ余寒かな
砂かけの田人ら猛り御田植祭◎
春ごとのカメラたぢろぐ砂つぶて
砂舞へば舞ふほど吉の春祭
記者席も砂の洗礼事祭
砂つぶて雨に見立てて春祭
駐車場奥の区画の下萌ゆる
三月
山独活のかづらの舟に売られけり
長幼の序のありながら土筆生ゆ
須弥壇の昏きに浮かぶ寝釈迦かな
三丈の本尊黙す涅槃かな
四月
選挙カー引きもきらずに春闌くる
禅寺のときに賑はひ花供養
廃校の桜のしべの降り止まず
神木の森を老鶯ほしいまま
五月
落ちやうの落下傘めき桐の花
抜きん出て雑木見下ろし桐の花
桐の花落つるやすでに萎えゐたる
芍薬の玉のいただき滲み染む
尋めて来し長谷の牡丹の裏切らず
勧進縄わたす欅の若葉かな
砂防ダム埋もれて永し花茨
六月
一ト筆のかばかり著き蜷の道
かくばかり泥田の澄んで蜷の道
撫牛の親子腹這ふ日の盛り
明易や三列シートの夜行バス
終生を近つ飛鳥の蝸牛かな
住所録整理してゐて冬籠
寒い日が続いたと思ったら今日は雨だ。
一日中ただ部屋に籠もっていても仕方がないので、なかなか腰があがらなかった年賀状書きをすることにした。「書き」というより「印刷」と言った方がいいかもしれない。
パソコンを新しく買い換えたら古い宛名書きソフトがインストールできなくて回り道させられたが、住所録は何とか最新のものに更新完了。今年は同級生を二人も失い、今年届いた彼らの年賀状を読み返すのが無性に悲しい。
こうして、一人、二人欠けていって何時かは自分の番になるのだろう。それは明日かも知れないし、あるいはもう少し生かされるかも知れない。いずれにしろ毎日に緩びのないよう、無駄に生きないようにしたいものだ。今年もあと10日あまり。明日から2回に分け今年を振り返って、「今年の句」を取り上げてみよう。
天窓をいぶせるばかり榾の宿
雪の中ようやく宿に着いたら大きな囲炉裏が待っていた。
囲炉裏には大きな木の根がくすぶっている。古民家風に設えられた宿の天井は高く、炉の薄青い煙が天窓へ向けてのぼっている。まずは冷えきった体を炉端で温めていると、やがて歓迎の熱い珈琲が出されひと心地する。しばらくそうしてから宿帳に記入して部屋に案内された。
何年か前に訪れた雪深い温泉旅館である。部屋も湯も食事もすべて満足できる印象深い旅館である。
山の井の竹樋きりだし年用意
年用意はいいが、春支度という季題は難しい。
毎年の決まり切った年迎えというのは幾らでも思いつくが、そうではない迎春準備と定義される「春支度」を詠むのは私には難題だ。正月をことのほか大切だという意識が、薄れてしまっているのが原因だろう。
今まで家庭や家事のことを家人に任せきりできたことを図らずも露呈しているとも言えよう。
今日締め切りの句会には何とか出句してはみたが、とても満足できるものではなく披露は差し控えておくことにする。