句日記いつまで

日記果つすなはちわが句尽きるとき

日記果つとはその年の日記を書き終ることだという。

とすれば句日記ともいえるこのブログの果つる日はいったい何時なんだろう。
5千句めざして毎日作句すると決めた以上、我がブログが果つる日はやはり満願のときが相応しいのだが、運悪く気力体力が衰えて続けられなければその日が果つる日、もう作句することもできないときである。もし、5千句まで到達しさらに次の千句めざすとして、志半ばで途絶えても同じことである。

命果てるまで句日記を綴り続けられれば最高の人生だったと満足できるかもしれない。

室内着

長電話おえて湯冷めを覚えけり

昔の黒電話は玄関とか廊下とかが定位置。

もちろんワイアレスとてないので、暖房もない場所でうっかり長電話しようものならたいそう寒い思いをしたものだ。まして湯上がりなら湯冷めは必定。
今は湯冷めしにくい入浴剤もあるし、入浴後は暖房のきいた部屋に居さえすればまずは湯冷めなどしない。かといって長電話しようという気にならないのであるが。

今日は広告にあった室内着用のダウンベストを買ってきた。薄くて動きやすく、何より暖かいのがいい。

手近な探鳥

鶲来て朝の語らひある暮し

毎日のように雄の尉鶲が来てくれる。

時には雌をともなうこともあるが、たいていは雄単独である。発見するのは私だったり家人だったり、教えあっては暫くは彼の動きを追い、居なくなっても暫くは「あれはジョウビタキだよね」「オスだったね」云々、そうこうしているうちに今度は四十雀たちが来たりして、「シジュウカラだよね」「そうだね」云々。
なんとものんびりした時間が流れる。

団らん

スマホ見て誰も語らぬ炬燵の座
テレビ見える席が上座の置炬燵

今年は炬燵が入るのが早かった。

我が家のは炬燵と言っても置炬燵で、しかも床暖房の上に敷いたものだから、うたた寝にはもってこいだ。一応テレビのリモコンも持ち込むが、なんのことはない、ものの十分もするかしないかのうちに寝入ってしまうのが落ちである。
一昔前なら、卓の上には新聞や蜜柑のもりがあったものだが、今や新聞ではなくスマホが主役。若いものたちは画面に食い入ってメールをしたりゲームに夢中になったりで、語りの団らんというものははるか昔のことになってしまった。

歳晩

気に入りの絵をなんとしよ古暦
人に会ふ予定はやなく古暦

今日から帰省ラッシュらしい。

昨日納め句会があったし、もう今年の外出はお仕舞い。
窓サッシ、網戸も大きいところは今日終わった。一応洗車はしたがワックスがけをどうするか。残りは天気次第で決めようかと思う。
明日から娘夫婦がやってくるが、とくに何をしようと決めているわけではない。
この年末はなんか不思議なくらいのんびりしている。

ガソリン安

満タンにすることもなく年の暮

ガソリンの値段がずいぶん下がってきているようだ。

年末年始に遠出する人たちには朗報だろうが、とくにどこへ行くとも決まってないので急いで給油する必要はない。かつては洗車、ワックス掛けして満タンにする。そして車にもお飾りというのが年用意の一つであったが、今ではお飾りはおろかガソリンだって正月2日ともなれば店を開けるところも多いので、必要ならそのとき給油すればいいだけである。
昔から守られてきた季節の風景も、こうしたちょっとしたことの積み重なりによって失われていくのだろう。

正月飾り

年の市寄ればあれこれ手に取りて

大掃除もせにゃならんとまずはホームセンターへ。

入り口では松だの、いろいろ正月用のお飾りの材料が並んでいて、思わず吸い込まれるように足が向く。
葉ボタンなどを寄せ植えにした迎春用の可愛い寄せ植えがあったの買うことにした。たいそうなお飾りもしなくなって久しくせめてという思いでもあるが、実は室内にいっさいのお飾りを置くことができないからでもある。
というのも、子猫たちが来て以来いたずらがひどいのでものを置けなくなったのである。おかげで玄関などは花も飾れず寂しい限りなので、せめてこの葉ボタンの鉢を玄関先に飾ろうというわけだ。

このブログの写真は早くも迎春ムードだが、我が家の玄関先にも一足早く春がきたようだ。