砂かけ祭 その2

砂舞へば舞ふほど宜し春祭
砂を手に今か今かと事祭
女子記者に砂の洗礼事祭
春ごとや噛むほどに砂浴びせられ
春ごとのどこもみな砂かぶり席
境内をところせましに事祭
春ごとに備ふる砂の堆し
子供らも負けず砂かけ事祭
砂かけの奇祭も春の予祝かな
田人みなファイアマンなり御田植祭
松苗を苗に見立てて御田祭
巫女二人植ゑつつ謡ひ御田植祭
御供を撒いて終了御田植祭

現地に立てば句材がありすぎて幾つでも作れてしまう。やはり人事の句が一番作りやすいかな。

春の予祝行事

荒技にカメラたじろぐ事祭
春ごとのカメラたじろぐ砂つぶて

今日は河合町廣瀬大社の「砂かけ祭り」の日だ。
廣瀬大社の砂かけ祭
ホームページにあるように、この行事は農耕作業が順調に進み稲が無事に育つように五穀豊穣を祈願するお祭りである。あらかじめ祝福することでそのことの実現を祈る、いわゆる「予祝」の「お田植え祭」、「春祭り」として、「春ごと」「事祭」に類する祭である。

砂をかけ合うのは雨の少ない大和盆地にあって、よく雨に恵まれますようにという意味があり、砂が飛び交えば飛び交うほど縁起がいいとされるので、その激しさは半端なものじゃない。たとえ見物の傍観者であっても容赦なく砂を浴びせられるので、この日は雨合羽などで頭から完全防備のかっこうで臨まないと大変なことになる。
まして高価なカメラなど下手すると壊されかねない荒っぽさなので、レンズの部分だけ目出ししてあとはビニールなどで覆うなどの対策が必要。

掲句の「事祭」や「春ごと」は関東などではあまり聞かれない季語なのかもしれない。当地では既に1月の頃から各地の神社でそれぞれの「御田植祭」(おんだまつり)が行われるが、この廣瀬大社の御田植祭は別名「砂かけ祭り」の方が有名で「大和の奇祭」のひとつとしても広く知られている。

追)神社ではなくて「大社」でした。さすが勅願の社だけありますね。

乾いた音

春寒の風に端山の休まらず
竹林のばきばき軋み春寒し

孟宗竹の林からばきばきと竹の軋む音がする。

おりからの北風に大きな竹があおられて太い幹どおしが擦れ合う音のようだ。中空な竹独特の乾いた音が竹林のなかで響き合うように鳴っている。
今日はしっかり冬構えして出かけてきた散歩だが、冷たい風に耳がちぎれそうである。

若草山

一日で失せし三笠の春の雪
寒明の雪の一日かぎりかな

若草山が一日でもとの末黒に戻った。

昨日のニュースでは若草山の珍しい雪景色を楽しんだが、今日市内に行ってみると雪は跡形もなく消えて、山は白から黒への見事な変身である。

受験生

図書館に難逃るる日冴返る

朝明けてみると夕べからの雪は霙にかわっていた。

車の屋根に積もっている雪もどんどん解けてゆき、昼頃にはなくなってしまった。
ただ、冷たい雨が降り続き散歩に出かけてみようかという気分にはとてもなれず、昼飯を食べてから町の図書館に向かった。ここなら暖房もよく効いて心地いい時間を過ごせるだろうという算段だ。

閲覧室は某国立大過去問題集を広げている受験生もいて緊張感も漂っている。
今日は図書館の本ではなく、家から持参してきた本で時間をつぶす。

3時間ほどたって図書館をきりあげ、一冊借りてから家路につくことにした。

ひとつの風化

柊を挿したる門の鎖したままひいらぎをさしたるかどのさしたまま

いつ通っても柊をさしたままの家がある。

自宅のある住宅地の縁にそって囲むように旧家があり、その中の立派なお屋敷風の一軒というのが節分になると戸という戸に柊を挿しておられる。翌日以降もその家の前を通るたびいつも決まって門は閉じられているが、柊だけはずっと戸のあいだに挿しこまれたままである。

同じように立派なお屋敷がいくつもあるが、このように柊を挿す風習を守っておられるところは他には見当たらない。歳時記だけに残った行事やしきたりというのは、このようにして風化してゆくのだろう。

恋の季節

恋猫に耳そばだたせ家の猫

そろそろ猫の発情期。

毎度お騒がせの季節だ。
ただ,最近は市街地の野良猫も嫌われてか数を減らしているようで、昔ほどはあの切ない声を聞くことは少なくなった。飼い猫はおろか野良猫も地域団体などがどんどん避妊・去勢もしているので、昔からいる猫たちはしまいにはいなくなってしまうのではないかとさえ思えてしまう。

当地では野良猫を可愛がる農家などもあって今でも彼らの健在ぶりを発揮しているが、その雄猫の狂おしい声を聞いて、床暖房にだらしなく昼寝していた家猫どもはさっそく反応し耳を立てるのだった。