緩い時間

よい席を猫と争ひ日向ぼこ

子猫三匹が家人に少しずつ馴れてきた。

あれこれ要求があるときは大きな声で鳴くようになったのが証拠である。一番はっきり分かるのは、朝食後のお休み処として畳の部屋を開けるように要求するときだ。
それも、今まで人見知りがいちばん強かった子が大きな声で鳴くのである。戸を開けてやると残りの子も含めて三匹が一斉に部屋になだれ込み、めいめいに日の当たる場所を占める。この和室をいままでだれにも邪魔されずに一日中時間を過ごしていた老猫ゴマちゃんにとってはすこぶる迷惑なはなしで、多勢に無勢のていで一番いい場所を明け渡したりしている。

ときに子猫を追っ払いながら自分も席取りに参加する時間の流れは緩い。

光のカーテン

日矢太き細きも降りつ冬立てり

暦通り寒い日だった。

ときおり弱い光が届くものの日射しの少ない日で、日当たりが恋しくなる空模様。
平群の谷を走らせていると、たまたま生駒のやまなみの裾に日矢がさすのが見えた。日矢のさしたところだけが明るく光って、紅葉がはじまったばかりの雑木林を照らす。

盆地のこれからは、足音をたてるように駆け足で冬がやってくるのだろう。

いのち満つ

キャンバスに満る命の水澄めり

澤口先生の個展初日である。

同窓会関西支部仲間が先生を囲んで食事会をするという連絡をもらったので、迷わず仲間に入れてもらうことになった。
先生は2度の大病を克服されたあと今年も意欲的な作品の多くを出品され、ご健在なことがうかがいしれたわけですが、なにより印象的だったのは、泉からほとばしる水がキャンバスから今にもこぼれそうな「満ちる水」と題された絵に「命の躍動」そのものを感じたことであった。躍動、すなわちエネルギーであり生命力を象徴する。これはまさしく先生のみなぎって止まない「満ちる命」なのである。

季節便り

紅葉のテレビ中継箸止まる

ありがたいことに、この時期各地の紅葉の模様が放送される。

我が家では行儀はよくはないが食卓でもテレビが見えるように設えてある。ときどきの各地の便りは朝食の時間帯に放送されるときが多い。季節の便りが流れると、家人に声をかけたり、テレビに見とれてしまって箸が止まったり。ニュースをたねに朝の話題が盛り上がると、その日はスタートからして気持ちいいものである。

これからは牡蠣とかズワイガニのニュースなんかも流れるんだろうな。

お気に入りの街路樹

公園の行く秋雨の見るばかり

雨の公園は誰もいなかった。

ただ、桜、欅などの紅葉、黄葉がピークを迎えようとしている光景を、クルマで通りかかった目は見逃さなかった。樹齢からして20,30年は過ぎていると思われる木々が広い公園に枝を広げられるだけ広げ、強烈な色の濃さの衣装をまとっていることを。
おそらく明日もまた臈長けた紅葉を見せてくれるだろうが、今日のそれとは別のものに変容しているに違いない。

この時期になると、その街の銀杏並木を楽しみにしているのだが、夏の伐採で裸同然にされてしまった銀杏は昨年の面影をすっかり無くしているのを見て悲しくなった。

手放せないもの

木の葉髪色褪せるともこの帽子

昔から帽子が好きだ。

最近はもっぱらキャップだが、第一子が生まれた頃の写真をみるとハンチングをかぶっている。その後いくつ帽子を買い換えたかはよく覚えてはいないが、気に入ったものがあればどこへ行くにも同じ帽子をかぶり続けたものだ。
最近は娘が折に触れプレゼントしてくれるので自分で買うことはまずなくなったが、今のBrooksBrothers社のロゴが入ったものは色といい形といい、幾分日焼けし色褪せてきてもかえって勲章のような気がしてたいそう気に入っている。同じキャップでも野球帽のような頭がやたら大きく見える茸のような形をしたものは趣味ではない。

先日、吟行旅行で同じ電車で同席した同窓生も皆帽子党。おたがいに帽子が必需品であることを笑うのであった。全員の集合写真もあるので確認してみたら、やはりみな帽子をかぶっていた。
追)一人だけは無帽でした。

今度またプレゼントしてもらうならお洒落なパナマ帽もいいなと思うこの頃である。

K君のこと

今はもう誰も拾はぬ榠樝かな

Masaru.K君のコメントで南アルプス市のことを思い出した。

カリンを段ボール箱一杯つめてクルマに積んで帰ったときのことだ。
あの日は旧芦安村の露天湯から紅葉のパノラマを楽しんだあと、帰途に通りかかった果樹園で、一面の葡萄やリンゴ畑のなかにぽつんと一本のカリンの木が目についたのでクルマを停めた。近くにたまたまオーナーの方がおられたので雑談していると、今はもう誰も採らないから好きなだけ持っていって良いという。
大変大きな古木で、かつては商業栽培していたのが今では採算がとれず放置していたのがたまたま残ったのだという。大きくて無骨な形をしているもの、小さくても完熟しているものなど、これらを入れた段ボール箱もまたいただいたものだった。

帰りの車中は何とも言えない良い香りに満ちあふれ、持ち帰ったカリンを蜂蜜漬けのジャム、果実酒にしていっぱい作ったことは言うまでもない。

ところで、Masaru君の苗字のイニシャルはK、かれのコメントから消息が伝わる伊勢原のK君、磯子のK君、板橋のK君、そして僕もKだ。偶然の一致?ともいえるがそうでもないとも言える。学校のクラス分けがアイウエオ順でたまたま同じクラスだったのである。また、それが縁で同じ男声合唱団に属すことになり4年間苦楽をともにした仲間なのである。
この「苦楽をともにする」ということがキーポイントで、それがなくては友情も芽生えないし育たないし、シェアしあうことでその後の人生を通しての長いつきあいが可能になる。どちらかと言えばライバルとしての関係のほうがまさる仕事仲間ならなおさらそうである。先日飲食をともにした、奈良検ソムリエを目指すK君もまた会社時代の戦友だと言える。
毎日のように拙ブログに励ましのコメントをくれるキヨノリ君も高校以来の仲間だ。
あれ?ソムリエのK君、キヨノリ君の苗字もまたK君であった。