探鳥

おほかたは鴨の池なり番鴛鴦

(おおかたはかものいけなりつがいおし)

平城天皇陵近くの水上池に行ってみた。

巫女アイサが来る池だというので出かけてみたのだが、地図で見るとおりこのあたりは陵濠やため池が多いところで、通りがかった人に話を聞くと他にもいろいろな鳥が飛来しているらしい。
トモエガモが来ていると聞いたから来たという人、近くの平城京でベニマシコの写真を撮ってきたという人、散歩のひとも次々やって来て、情報交換をしている。カイツブリが長い尾を引いて鳴くし、コガモもピーピー笛を鳴らす。ハシビロガモと思われる集団もいて賑やかなこと。
で、肝心の巫女アイサだがこのところはあまり見かけないとのこと、かわりに昨日は100羽くらいはいたという鴛鴦が今日はわずか残っていて水面を滑るような番の優雅な姿を見ることができた。

春の足音

四日目となれば四温のありがたき

今週は暖かい日が続くという。

さしずめ今日は初日の一温になるが、これが四日目まで続くとなると寒のなかだけに春がそこまで近づいている実感がます。一般には三寒四温というのはむしろ立春以降の日々に言うことだという感が強いが、どうして立派な冬の季語なのである。

創作句

探梅行気づけば皆とはぐれをり

塀越しに見る梅の蕾もずいぶんしっかりしてきた。

近くには完成してずいぶんの年月になる住宅団地があるので、それぞれの家の庭木も立派なものがある。とりわけ、今の時分楽しみなのは、枝垂梅であるにせよ、普通の花梅、実梅であるにせよ、丹精込めた梅が果たして白なのか紅なのかを一本一本想像しながら歩くことである。
当地の開花は早くても半月ほど先になりそうだけど、その分探梅の楽しみもそれぞれにあっていいものである。

掲句は随分前に青梅梅林をハイキングしたときの光景を思い出しながら詠んだもの。みんなと出かけるのだが、それがいつの間にかいくつかのグループに別れたり、時には気づくと周りには自分以外には誰もいなかったりする。全くの創作だが、こんな作り方も当然あっていいだろう。

悼む

寒い夜悼み語らふ人恋し

やっぱり、いけないね。

家人に話してみてもそのときの一回きり。もうそれが二度と話題に上らなくなる。それが世の常だろう。
友の死を一人で受け入れるのは難しいものだ。故人の思い出をやはり悲しいと思う人と語り合ってみたいと無性に思う夜である。

寒中見舞い二通

遺族より届く寒中見舞かな

中学、高校時代の同級生S君が昨夏急死したと知らされる。享年67歳。

いつもなら届くはずの年賀状になかったので、どうしたのかなと案じていた。今日届いた寒中見舞いには奥さんの名前で、早朝散歩で脳内出血で倒れそのまま帰らぬ人となったことが書かれていて動揺がおさまらない。
彼は足が速く運動会ではクラス代表、はじかみ屋だが、悪いことしたら見逃さないぞと悪戯っぽい目で見るところが人なつっこくて皆にも親しまれていた。毎年秋に行われる同窓会には必ず出席していたようで、2,3年に一回くらいしか顔を出さない僕でも毎回必ず会うことができて言葉少なに近況をかわしたことが懐かしい。

同じく、もう一通、高校時代の同級生N君よりの寒中見舞い。食道切除のあとリハビリ中である由。電話して少々張りが失われているが元気そうな彼の声を受話器越しに聴いた。

この歳になると、明日は、というより今日もかもしれないが、我が身。もし、僕が急死したら、その時はせめて年賀状をいただく人には家族からちゃんと告知できるようにしておかねばならないなと身にしみて思うのである。

S君の冥福を祈って、合掌。

春は近い

あてがひしスペースほのと室咲けり

いつもは蘭の鉢を寒を避けるため取り込む場所が、今年は子猫たちがいて土を悪戯されるので、書斎を明け渡している。

ふだん暖房しない部屋なのでなかなか成長できずにいたが、今週あたりから蕾が急に膨らんできて咲き始めたようだ。こうなると毎日眺めていたくなるが、暦のうえでもまもなく春、実感としても春がそこまでやって来ているような気がしないでもない。

帆立貝型古墳

墳丘の林騒がせ寒鴉

乙女山古墳は帆立貝型古墳の典型として名を知られている。

この公園のなかでは珍しく竹林と雑木林に覆われたままで、中に立ち入ることもできない。そんなわけだろうか、鳥たちの格好の隠れ家らしく、いろいろな鳥たちが出入りしている。
なかでも、竹林より背が抜きんでて高い高い雑木の天辺には烏たちが我がもの顔でたむろして、ときおり鳴く声は公園の遠くまでひびきわたるように大きい。

公園の真ん中にある池には多くの鴨が飛来するが、この日はカワアイサという珍しい鳥(雄)が一羽だけいて、大きな望遠レンズを抱えたカメラマンたちがシャッターチャンスを狙っていた。