いま何を恐れているや後の月
今日は後の月、旧暦9月13日、十三十六夜である。
昼間はずっと曇っていたのに、今外へ出てみたらやや暈がかかってはいるが見事な月だ。
このような明るい月夜のもとでは、すべてが小さい、小さい。人に隠れてこそこそしたり、人の横顔をうたがったり、そんな人生とは永遠におさらばしたいものだ。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
いま何を恐れているや後の月
今日は後の月、旧暦9月13日、十三十六夜である。
昼間はずっと曇っていたのに、今外へ出てみたらやや暈がかかってはいるが見事な月だ。
このような明るい月夜のもとでは、すべてが小さい、小さい。人に隠れてこそこそしたり、人の横顔をうたがったり、そんな人生とは永遠におさらばしたいものだ。
空き箱を猫ちぐらとす薄寒
急に冷えてきましたね。
人間には厚着だの、暖房だの、布団に毛布だの、いろいろ防寒対策が打てますが、人間より寒がりだとされてる猫たちにもそろそろ寒さ対策を考えてやらなければならい時が来ました。
ということで、雪国の「猫ちぐら」(*)ならぬ空き箱の寝床をためしに作ってみました。まず、段ボールの一面に出入り口となる分をくり抜きます。箱のかどはガムテープでしっかり止めます。底には百円ショップで買ってきた小さな座布団を敷いて完成です。
早速試してみたら、一番好奇心が強い子が真っ先に入って寝心地を試しているようでした。好評ならさらに人数ならぬ猫数分を作ってみましょう。
(*)猫ちぐら
新潟県の雪深い集落などで昔から作られてきた、藁で編み上げた猫のためのベッドです。
座布団を引き寄す胡座やや寒き
朝からぱらぱらと雨模様。
気温も低い。
初めて長袖シャツを取り出してみたが、畳では靴下をはかないでいると冷たく感じるような日だ。
近畿地方では明日未明にかけて台風が最も近づくという話だ。10年に一回というレベルなので、進路に当たる地域には大きな被害が出ないことを祈るばかりである。
前籠に分けていただく今年藁
藁塚がここかしこで見られるようになった。
昨今コンバインで一気に粉砕されてしまうことの多い稲刈りだが、当地では比較的規模の小さな田が多いので手作業がまだ続いているのかもしれない。今日も平群を走っていると、いくつかの束を自転車の前籠に積んでいる光景が見られた。前後の様子からどうやら田の主にお裾分けしてもらったものらしい。藁というのは、真夏の乾燥や虫害の防止、冬には避寒対策の材料としてはうってつけなので、庭や菜園などに使うのだろうか。
秋の日や般若心経一年忌
今日みたいな日を秋日和というのだろう。
風一つなく、高い空。窓をあけて車を走らせるのが清々しいほど気持ちいい。
母の命日の今日、1周忌の法要を菩提寺で行った。手渡された勤行集を見ながら「般若心経」などを唱和してゆく。曹洞宗というのは最後に「南無釈迦牟尼仏」を10回を唱えるのが決まりのようだ。真宗なら「南無阿弥陀仏」というところだろうか。「南無」とは「だれそれの教えに従う、見習う」というような意味らしい。だから、「南無釈迦牟尼仏」というのはお釈迦様の教えを大事に生きていきますよ、ということになろうか。禅宗というのは念仏を唱えれば極楽に行けるという宗派ではないことは確かだ。
充血の目をむき鹿の角切らる
奈良公園では今日から恒例の角切りが始まった。
場内に追い込まれた鹿は泡を吹かんばかりにパニック状態。
争いで怪我をさせないためとはいえ、鹿にとってはいい迷惑、相当なフラストレーションだろう。
見らるともままよ火灯す秋簾
夏が終わる頃にかけた簾を、10月も半ばになろうとするのにまだ外せないでいる。
真夏日のぶり返しが数日続いているせいでもあるが、あたたかいお日様の恩恵にすがる時期にはまだ少し早いのでしばらくはこのままでいることになるだろう。
ただ、真夏の時期はともかくこの時期になってまで夜に室内が丸見えになるというのも困りものだ。カーテンを閉めるという手もあるが、それなら窓を開けておく意味はないし、爺婆のあられもない姿を恥と感じる「感性」もはなはだ希薄になってしまったゆえ、やっぱりしばらく放置を決め込むことにしている。