喜寿半ば三輪山を遙かに夏越飯
一年の折り返しの日である。
喜寿も無事半ばまで何ごともなく過ごせてきたことを感謝しなければならない。
茅の輪をくぐって夏越しの祓えを受けないところだが省略。その代わり、畑の夏野菜をかき揚げにしてご飯にのせ夏越しご飯としていただいた。
胡瓜も茄子も、満願寺唐辛子、獅子唐も大変美味しくいただけることにもまた感謝。
殘り半分、また気分一新して過ごせればと思う。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
喜寿半ば三輪山を遙かに夏越飯
一年の折り返しの日である。
喜寿も無事半ばまで何ごともなく過ごせてきたことを感謝しなければならない。
茅の輪をくぐって夏越しの祓えを受けないところだが省略。その代わり、畑の夏野菜をかき揚げにしてご飯にのせ夏越しご飯としていただいた。
胡瓜も茄子も、満願寺唐辛子、獅子唐も大変美味しくいただけることにもまた感謝。
殘り半分、また気分一新して過ごせればと思う。
汗のシャツ朝に替へては昼もまた
汗に風が心地いい。
さいわいにも風があって野良が苦にならない。
午前中そして午後から、日に二回も汗をかいて今晩はぐっすりと眠れそうだ。
昨日夕立がきたので二日ぶりの野良だが、最盛期の胡瓜がお化けになってしまっていた。
鴉にいたずらされた区画もあって、これから収穫を迎えるトウモロコシやトマトも安閑としていられない。
魚の焦げ閉ぢこめしまま冷房裡
今年初めて入れた。
ここ二日ほど急に蒸してきて、それでも夜の外気が落ち着くので我慢していたのだが、今日は夕立のあと一転して風が止んだのでとうとう夕方から冷房にスウィッチが入った。
これで今年の長い冷房生活が始まるわけだが、ただでさえ出不精なのにさらに追い打ちをかけることになりそうである。
最強の断熱構造をもつ家でもあり、まだこの時分では冷房を入れた途端すぐに効いてくるが、長いと予測される真夏にはさてどうなるやら。
冷房な苦手な猫どもはちゃんと居場所を心得てめいめい難を避けているようである。人の快適な温度と猫族のそれとは微妙にちがうが、うまく折り合いをつけながら互いにこの夏を乗り越えたいものである。
強者が一夜の夢の明易し
機を見るに敏な御仁であろう。
同調するもの少なく形勢不利と見るや、一日も経たずして兵を引いたとか。
こちらは情報がまったく入らないから、この先どうなることやらなかなか寝つかれない夜だった。
もしかしればこれがかの大統領の終わりの始まりかもしれず、これからも目は離せない。
民衆が反乱軍を歓迎したという報もあり、とくに戦線に近い南部の国民の間には厭戦気分が広がっているのかもしれない。
選挙も近くなってきて成果を上げようともがけば山が動くこともあろう。
子と言へど血の気引かるる蝮かな
忘れたころに遭遇するもののひとつに蝮がある。
草が生い茂っていたお隣の区画に鎌が入ったせいか、小さな赤褐色の蝮の子が這い出てきた。はじめはミミズでも掘り出したかという程度にしか思わなかったが、どうもどこかおかしい。
そう、頭があるのである。これは色、形からして蝮の子に違いないと気づいて思わず飛び上がってしまった。
敵も子供とは言え早足である。草むらにまたたく間にかき消えてしまった。
あらためて野良では長靴、長袖、そして手袋。たとえ暑くても肌をむきだしにしては危険と言うことを再認識した。先日もイタチを見かけたし、周りが田圃に囲まれていれば蛙やそれを捕食する鷺はもちろん、蛇だって潜んでいることを肝に銘ずるのであった。
独りだけノンアル頼むビアホール
一口目はラガーもノンアルも差はない。
最近はもっぱらノンアルコールビール。喉ごし、味とも遜色ない。飲んだ後の暑苦しさはないし、このブログを綴るにも頭の状態もクリアである。家で飲むときは決まってノンアルコールビール。と言っても年に数回あるくらいだけど。
この空き缶を集めては菜園に持って行く。
土竜の通り道に杭に差した空き缶を立てておくと、風でこれがガラガラと鳴って視力は悪いが聴力がすぐれている土竜に効果があるらしいのである。
ほんとうかどうか知らないけど、周りの人がみなそうしているからとテストしているのだが、効果のほどはよく分からない。
また、昔からある漢方の胃腸薬を通り道に仕掛ければ一発で聞くと言う人もいて、菜園はいろんな情報の交換場ともなっている。
今日は焼酎と米酢、それに木酢液を加えた液を胡瓜などに散水。なんでも茎や葉を強くして病気予防にいいらしい。と、これも受け売り、セコハン情報。いいと聞いたら難でも試してみるのである。
ところで、ノンアルコールビールだが、これはカラオケなどで付き合うにはいい飲み物である。何ごとも車がないと動けない地方では必需品とも言える。
父の日のことなく過ぎしいくそたび
先週日曜日が父の日。
毎年その日をどう過ごしたかは別として、はじめて人の父となってはや半世紀が過ぎた。
あと十年もすれば、その子も還暦を迎える。
50年とはなんとも気の遠くなるような日々だが、実際にはあっという間の50年だったような気もする。
いろんな山谷越えての今日。
おだやかに過ごせられる日々のありがたさ。