いたちごっこ

獣害の二百十日に限られず

獣害は二百十日よりも苛し。

今や全国至るところ害獣が出没している。
かつては、収穫間近に襲来する台風に怯える時代が長く続いていたが、近年は品種改良などもあってそれほど恐れることでもなくなった。かわって猛威を振るっているのが周年の獣害で、こちらの被害の方がむしろ深刻かもしれない。

自家消費分だけをほそぼそ作っている農家にとっては、田や畑の作物ことごとく狙われては何ともやるせない。いたちごっこで済ますわけにはいかないからだ。

高原に思いを馳せる

御嶽の今は静かに蕎麦の花
御嶽の煙そびらに蕎麦の花

信州の蕎麦畑を渡る風はもう完全な秋。

蕎麦畑の向こうに横たわる御嶽山は、ほんの一年前の噴火など忘れたように青い空を背景にしている。
もう随分昔、高山から御嶽のすそをめぐって木曽谷、伊那谷を横断したときの御嶽山のふところの広さには感動した。当時、国道の一部はまだ舗装もされてなかったがそれが逆に秘境の趣を強くしていたように思う。
今では高原の豊富な観光資源をてこにして人気スポットになっているようだが、やはり素朴な味は変わらず残されているようで、今時分はトウモロコシが最盛期のようである。

高原の冬は早いのでこれから一ヶ月くらいが見どころだろうが、再訪したい気分が強く誘われる。

種子を採る

石女と陰に言われて花たばこ
子をなせぬ嫁返されて花たばこ

いまや煙草栽培農家もずいぶん減ったことだろう。

煙草の喫煙の習慣が世界中に広まったのは意外に新しく、大昔からインディオたちによって喫煙されていたものが15世紀末に新世界に伝わって以降のことである。
最近では喫煙する当の本人はもとより、副流煙が周りの者にも害をもたらすというという理由もあって消費が落ちて生産者の数も随分少なくなったことだろう。

観賞用に改良されたものも出回っているそうだが、歳時記などを読むと「煙草の花」とはそういうものではない。作例としては、

見えて来し開拓村や花たばこ 室生礪川

など山村の景を詠んだものが多いが、何もかも管理化される現代、小規模な栽培農家が存続するのは困難で今ではもう見られなくなった景色かもしれない。

煙草の花とは本来種子を取るために咲かせるものだから、通常は芽のうちに摘み取られてしまう。子をなせなくて肩身の狭い日々を過ごしている人には辛い花かもしれない。

都会の夜空

一等星ばかりの見えて星今宵

「星今宵」は「星祭」の傍題である。

夏の大三角形を見るための空の条件が整うまで1週間かかったというキヨノリ君の話からヒントをもらって詠んでみたもの。
夏の大三角形は「アルタイル(牽牛)」「ベガ(織姫)」「デネブ」の三つの星が形成する。前者二つが一等星、デネブが1.3等星だそうである。
一等星なら都会でも辛うじて見える星だから、探せばうまく見つかるかもしれない。

台所の秋

厨房に夕暮せまる秋暑し

昼間はずいぶんしのぎやすくなった。

窓さえ開けておけば入ってくる風も熱風とはちょっと違う、どこか秋の空気の風情がある。このまま順調に季節が進んでくれればありがたいことだ。
このように涼しい昼間はエアコンも全く使わなくてすむが、さすがに西日の影響だろうか夕餉の支度に台所に立つ家人は辛そうなので、当分は夕方だけはエアコンの世話になることになりそうだ。

台所に秋がくるのはいつだろうか。

天気に左右される

よくすすむ父の晩酌稲の花

秋の季語「稲の花」である。

今では、台風被害を避けるためにも早稲の開発が進んでいるので、実際には7月末頃までの暑い盛りに花を咲かせることが多い。

今年も何とか無事に稲の花が咲いて、ひとまずの安堵からか父は幾らか機嫌がいいのである。後は、収穫を迎えるまでお天道様のご機嫌次第。

頭を抑えられる

或る年の家族の記憶天の川

天の川を間近に感じた日って何時のことだったろうか。

星が降るとは言うけれど、吸い込まれそうな星空というのもある。
ある夏休みに、信州の高原へ家族旅行したときの夜もそんな星空だった。
空を埋めるようなおびただしい数の、大小すべての星がまたたくようで、星座の形すらイメージできないほど星が密集している。
その中でも、天の川は覆いかぶさるように頭上にまとわりついて、まるで抑えつけられるような感覚の記憶が鮮明だ。

その後、何十年かたって同級生と信州の温泉でみた天の川は微かな雲がかかっているように見えて、まったく別物という感じがした。