白鳳伽藍跡のホテイアオイ

露けしや礎石ごろりと伽藍跡

ようやく探し当てた頃にまた雨が降り出した。

平城京の南にあった本薬師寺跡が今ホテイアオイの見頃だというので行ってみた。
金堂跡や東塔跡だけが周囲より高く残されていて、まわりはすべて水田。その水田も耕作調整せざるを得なかったところにホテイアオイを移植したものが、今や30万株ほどまでになったという。東側から西方に畝傍山が見えていかにも藤原京跡だということを実感する。

本薬師寺跡より畝傍を臨む

薬師寺は天武が皇后・鵜野讃良の病気平癒のために発願した寺で、工事は天武の死後持統が引き継いで最終的には文武2年に完成。平城京に移されてからも、伽藍は残されていたと言われる。通常、旧蹟というのは長い年月の間に土に埋もれてしまうもので、だから「発掘」によって遺構調査が行われるが、この寺は逆に今では礎石だけになり、しかもそれが根元から露わになってしまっている。それが折からの雨に光っている姿は単に濡れているを越して大いに哀れを誘うのであった。

本薬師寺跡の礎石

今週また、飛鳥の苑池の遺構とされる発掘調査結果が公表された。多分、この日曜日には一般公開されるだろうから渋滞を覚悟して見学しなければなるまい。

殺生するなと

大寺の奥まるほどに法師蝉

唐招提寺の和上廟は南大門から入ると一番奥の北東角にある。

手前が中秋の観月讚仏会が行われる御影堂で、ここいらからは木が鬱蒼と茂り小暗き森のようになる。和上はこの静けさのなかにお眠りになっているわけだ。
それまでは、蓮だ、小鳥だ、お釈迦様だと賑やかに歩いていたが、このしーんとした浄域に入れば蚊も多くなり法師蝉も降るように鳴いている。

殺生を戒しむ寺の秋蚊かな
不殺生の故事ある寺の秋蚊かな

この唐招提寺では5月19日、鎌倉時代の中興の祖・覚盛上人の命日に「うちわまき」が行われる。
不殺生の教えを守り、蚊も殺さなかったという上人をしのび、「せめて蚊をよけられるように」と奈良・法華寺の尼僧がうちわを供えたのが由来という。
そんなことを思い出して、もう一つ。

戒寺の打つをためらふ秋蚊かな

気苦労

一枚の田にも遅速の稲の花

よく見ると同じ田でも成長が微妙に違うようだ。

半分ほどは穂も出て花がつき始めたものがあるが、残り半分はようやく穂が立ち始めたばかりのものもあって、一体何が原因でこうなるのだろうかと疑問に思った。日当たりには特別差がないように見えるが、水の流れとか栄養の偏りとかあるんだろうか。

このような状態を見極めて実りの秋まで心を配っていかねばならぬとは、あらためて農家の苦労を思う。

二百十日の空模様

実の飛ぶや蓮の蕚の雨溜り

今日は空模様が怪しい。

傘を持って出たが、日中は意外に雨が上がり吟行は濡れずには済んだ。いっぽうで、雨後の湿度は高く蒸し暑い一日となった。
吟行地は西の京。なかでも、どちらかといえば薬師寺よりも句材の多そうな唐招提寺を選んだ。実際に、夏から秋への変わり目の季節ということもあって、句材がいくらでも転がっているというまことに贅沢な日であった。
聞いた話では二百十日にもあたるこの日は「厄日」であり、関東大震災の忌日「震災忌」でもある。「稲の花」、「走り穂」の佳句も多く非常に勉強になった。

唐招提寺は和上伝来と伝わる蓮でも知られるが、境内のあちこちの池や鉢に花を終えた蓮が多い。花のあとの実には大きな種がいくつか入っていて、これが弾け飛ぶとぱっくり穴があく。掲句は、ちょうど夜来の雨があり、それを溜めたままになっているのを発見したのを詠んだもの。

静謐なる秋を

秋霖や西よ東よ鬩ぎ合ひ

珍しいのではないか。

八月のうちに秋雨前線が居座るというのがである。
秋雨と言えば、9月末から10月初旬にかけ秋の晴天が訪れる前の長雨というイメージだが、残暑が意外に早く途切れるのは珍しい。ここ10年ほどは暑い秋だったので、今年もある程度は覚悟していたので、この涼しさは天恵だと思って喜ぼうではないか。

前線は北の空気と南の空気の鬩ぎ合い。かたや、「都」を二つにするとか、国会前の大集合とか、世の西東もどこか騒がしい。秋の静謐が訪れることはあるのだろうか。

心意気

過疎村の上手下手の秋桜

今はどこを走ってもコスモスが咲いている。

コスモスの寺として観光客を迎える寺もあるようだ。
かつて信州・佐久だったか、町を活性化しようと植えたコスモスで有名になった街道があった。
それに刺激されてか、今では全国どこでもコスモスが見られて珍しい光景ではなくなったが、それでも田や畑の間に群生している風景には慰められる。

児童の影など全く見えないような集落で、思いもよらずコスモスの群生が迎えてくれたりすると村の心意気を垣間見るような気がしてエールを送りたくなる。

大人でも興奮

増水の引いて大漁下り簗

キヨノリ君とのやりとりで那珂川の簗を思い出した。

那珂川は全国屈指の鮎の川で、那須を源流として常陸へ下る全長150km。その中流域が鮎街道ともよばれ、車を走らせると窓外にいくつか簗場を見ることができる。
見るからに涼しそうな光景で、時間が許せば途中下車してみたくなるのは当然かもしれない。

V字形にせき止めた口に簀を設けていて多い日には魚がどんどん打ち上げられるので、子供に限らず大人だって活きのいい鮎を手づかみする誘惑には勝てない。
このように普段だったらまことにのどかな風景なのだが、いったん川が荒れたら大変だ。下手したら大増水でもあれば一気に簗が流されてしまうこともある。客は気楽なもので、手づかみの遊びはあきらめて、生け簀に飼われた魚を食べるだけであるが。
10月末になると鮎もすっかり落ちて簗の役割は終わり、来年の初夏、あらためて簗を組むことになる。

最近は人工孵化したりして鮎の遡上を増やそうという試みが全国に広がっていると聞く。
日本の夏の川に鮎は欠かせない。関係者の地道な努力に感謝もしたいし期待もしたい。