露けしや礎石ごろりと伽藍跡
ようやく探し当てた頃にまた雨が降り出した。
平城京の南にあった本薬師寺跡が今ホテイアオイの見頃だというので行ってみた。
金堂跡や東塔跡だけが周囲より高く残されていて、まわりはすべて水田。その水田も耕作調整せざるを得なかったところにホテイアオイを移植したものが、今や30万株ほどまでになったという。東側から西方に畝傍山が見えていかにも藤原京跡だということを実感する。
薬師寺は天武が皇后・鵜野讃良の病気平癒のために発願した寺で、工事は天武の死後持統が引き継いで最終的には文武2年に完成。平城京に移されてからも、伽藍は残されていたと言われる。通常、旧蹟というのは長い年月の間に土に埋もれてしまうもので、だから「発掘」によって遺構調査が行われるが、この寺は逆に今では礎石だけになり、しかもそれが根元から露わになってしまっている。それが折からの雨に光っている姿は単に濡れているを越して大いに哀れを誘うのであった。
今週また、飛鳥の苑池の遺構とされる発掘調査結果が公表された。多分、この日曜日には一般公開されるだろうから渋滞を覚悟して見学しなければなるまい。