土用過ぎたが

気がつけば頭痛失せをり秋の立つ

暦では立秋だという。

実際には明日からは10日くらいは猛暑の予想。昔なら土用と聞いただけで「ああ夏もピークを打ったんだな」と思ったけど、ここまで乖離してくる気象というのはやっぱり異常なんだろうか。それともこれからはこれが普通になるんだろうか。

桐箱に入った線香

新盆や聞き慣れぬ香のくすぶりぬ

母の名が大きく書かれた荷物が届いた。

今頃になって誰がと宛先をよくよく見たら「ご遺族様」と一段小さく書かれている。贈り主が母が最後にお世話になった病院で、なかみは桐箱に入った線香だった。ここは家族でさえできないことまで何くれと面倒をみていただいた病院で、ほんとうにありがたいことだったが、こうして新盆の見舞いまで贈ってくれると何とケアの行き届いた、事務もしっかりした病院なんだろうかとあらためて驚かされる。自分の最後もこうした病院の世話になれば家族も随分助かるだろうなあと思うのだが、果たして。

小さな花火大会

人呼ぶも甲斐なく果てし遠花火

夕べは町内の七夕まつりが行われた。

祭りの最後に大和川河原から花火が打ち揚げられたらしく、2階の書斎からよく見えたので階下の妻に声をかけ部屋に戻ったらもう花火は上がらなかった。わずか1,2分の出来事で、これがこの町の大きさに見合った花火大会なのかもしれない。

そういう時期

分刻み檀家くまなく盆供養

昨日は母の初盆の供養のために平等寺の住職にきていただいた。

ほんとうは住職でなく副住職なのだが、お父さんの住職が永平寺の要職についておられるので実質的にお寺を切り盛りされているのは息子の副住職さんである。
さすがにこの時期はお盆の時期とあって分刻みのスケジュールであるらしく、読経が終わった後もゆっくりお話しできるような状況ではないようだった。お供えを自家用車に積むのをお手伝いしたところ、すでに後部席は同類のものが満載であるのを図らずも見てしまい、そういう時期なんだなあとへんに感心したのだった。

忍び足

片足のもげて動かぬ初飛蝗

水など撒いていると、虫たちが慌てて飛び出してゆく。

まだ夏だというのに、すでに、小さな飛蝗なら何匹も芝生の中で身を隠しているようだ。毎日毎日「暑い」「暑い」と言ってるうちにも秋は忍び足で近づいているということだ。
名前は分からぬが1センチくらいの小さくて緑色したものから、精霊飛蝗といわれる大きなものまで何種類もいて、あらためて飛蝗の種類の多さに驚く。玄関の門の壁にしがみついていた精霊飛蝗は、誰に襲われたのかはやも片足が根元からもげていた。蜥蜴の尻尾のようにまた再生するといいと思った。

ごろ寝

勝手口塞ぐばかりに西瓜寝る

水不足でかなり深刻な畑。

収穫を間近にした西瓜や真桑もみな半分以上枯れかかった株となってしまって、これ以上の生育は望めないかも知れないので、成熟にはいくらか足りないかもしれないがいくらかはましそうな西瓜を一個収穫してきた。結実後40日なのであと5日ほどは欲しいところなのだが。

大玉で収穫後2,3日は寝かせなさいとものの本には書いてあるので、とりあえず勝手口においてあるのだが。

新盆

朱の文字のひとも鬼籍に墓洗ふ

三重の真宗高田派は新盆らしい。

父母ともに実家は曹洞宗で旧盆であったが、初盆の法会はこの月末にお願いしてあるしお墓参りだけはと行ってきた。
一般には8月にお詣りする人が多いと見えて、どのお墓にも花が手向けてはなく、真上からの日射を気にしながらの作業ではあったが何とかお墓にたまった水垢などもとってさっぱりとした。
この墓は父が亡くなったとき母が建てたものなので、当時まだ十分に健康だった母の名前が朱文字で刻まれていたものだったが、とうとうその当人も地下の人となってしまった。

お詣りを済ませた後は、これも目的だったのだが名物の鰻を食いに津まで足を伸ばした。