体にいいこと

買うてでる水仕三日目神無月

熱くもなし冷たくもなし。

今ごろの水道水が一番楽である。
水温は平均気温に遅れる傾向があるので、まだしばらくは素手でも十分に使える。
上さんが留守ではないのだが、腕が本調子でないので、重いものを持ったり、運んだり、できるだけ引き受けているだけである。運動不足気味の身には家の中でもできるだけ体を動かすという意味ではいいことなのであろう。

軽快

烏より長き沐浴秋寒し

温めが好みだが。

さすがに朝晩がめっきり涼しくなってくると、風呂の設定温度も秋仕様になる。
冬はさらに一度上げるのだが、今はちょうど四十度がいい頃。
それでも長湯にはまだ早い時期。さっさと済ませその一時間後が就寝どき。
いつもそういうパターンなのだが、ここのところ二台のスマホの機種変更、ノートブックPCのディスクのSSD化に加え二台のwinパソコンのOSバージョンアップ、しかもV8.1からV10そしてV11へと二段階アップで夜なべならぬ深夜残業の連続。すっかりリズムが狂ってしまった。
ところで、8年前購入でもう動きが重くてどうにもならなかったwinノートブックが、わずか三千円以下のSSDで見違えるような軽快マシンに変身したのは、大変苦労した作業もおおいに報われたと言える。取り外したHDDはむろんバックアップ用に転用といいことづくめ。あと五年は行きまっせ。パソコンと命とどちらが早いか。

繰り上げ

あまねくも海無し県の秋日かな

好天吉日。

真っ青な空。
気持ちいいほど晴れた。
あと数日はもつということだが、この間にやれることはみなやっておきたい。
何しろ日がだんだん短くなって、いつもの「帰ろう」放送が今日から五時に繰り上がった。
当町在住の作者にちなむ「きらきら星」が、有線放送で各地区一斉に流れることになっている。子供たちへの声かけの一種だが,春からの半年は午後六時。日の長さによって使い分けしているというわけだ。
いつもより早い放送に思わず時計をふりかえったが、今日は十月一日ということにあらためて気がついた次第である。

半年

秋冷や眉月よぎる最終便

朝夕はめっきり涼しくなった。

今朝などは20度も切っていつもの薄い夏掛けでは寒いくらいだった。
ただ日中は30度近くまで気温が上がるので、着るものにだって苦労する。
25度までは半袖でいけるそうだが、それ以下だと長袖というのが通説で。朝は長袖、昼は半袖といそがしい。
猫族も同様で昨日までは好きなところで寝ていた奴が、昨夜は体に密着して添い寝する形になり、これから向こう半年猫に半分蒲団を取られることになる。

赤のまま

人影のなき山畑の蕎麦の花

手のかからない植物なのだろうか。

種を蒔いたらあとは手を入れることもなく、三か月もすれば収穫を迎える。痩せ地でも育つといえるので雑草並みに強い植物に属するのだろう。
救荒作物のひとつともなっているが、その条件にもかなっているのではなかろうか。
山を切り開いた広大な畑は空が近い。秋の雲がゆっくり流れてゆくなか、真っ白な畑に犬蓼の花の赤がアクセントになっている。

悪くない

辞書を引く記事の格調秋の夜

海外からどう見えているか。

最近の国内メディアにはシャープさというものが欠けているように思えてならない。
記者席でひたすらパソコンに打ち込むばかりで、それでジャーナリズムたりうるのか。単にスピーカーの言葉を口移しに記事にしているだけではないのか。
新聞もテレビのニュースもつまらないので、BBC、CNNなどの海外メディアのサイトを暇にまかせてサーフィンすることがふえた。久しぶりに引く英和辞書、と言ってもそのまま不明な部分をコピペで検索するだけなのだが、一行すんなり読めたことがないくらい知らない語が多い。
ただそれは決して不快なものではなく、むしろ楽しい作業というようなもので時間はあっという間に過ぎてゆく。
こんな時間の過ごし方も悪くないと思う夜長である。

フレーム

上手よりひとり舞台の秋の蝶

居間の窓をフレームとみてもいいし、舞台とみてもよい。

ふらふらと舞台の袖から現れたかと思うと、あちこちの枝葉の周囲を巡っては反対側の袖に消えてゆく。何を探しているのかは分からないが、短い一日を惜しむように命を刻んでいる。
目で追っかけていると、それはまるでひとり芝居の役者のようにも思えてくる。