初日の出

あらたふと伊勢の方角より初明り

あけましておめでとうございます。

旧年中は当ブログに多くの励ましをいただいてありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。

さて、冬至から10日もたちますと夕暮れなどはいくらか伸びたかなあと思えるようになりました。
朝目が覚めると真っ先に寝室のカーテンを明けるのですが、日の出もいくぶん早くなったかなあという感じです。
自宅から見ると初日がのぼってくる方角は、ちょうど伊勢神宮のあたりではないかと思います。人麻呂のように「ひんがしの野にかぎろひのたつ見えて」の朝ぼらけというのは自宅からはまだ見たときはありませんが、それでも山の端から徐々に空が朱く染まってゆくさまは大変ありがたく気高く見えます。これなど、まさに「冬はつとめて」という言葉がぴったりきます。

今年もいい初明りが望めればいいのですが、何やら荒れる三が日となりそうな予報が心配です。「雪の降りたるはいふべきにもあらず」はあくまでも作品の上での話として承っておきましょう。

熊野速玉神社

初売の熊野梛とて古梅園

奈良は墨の都。

古梅園というのは、墨製作がそれまで独占していた寺社勢力が衰えるのに伴い、信長や秀吉が民間の産業振興策として奨励したのにあわせ天正年間に創業したという老舗中の老舗である。江戸時代に入り、南都奉行もおおいに奨励して奈良町を中心に多いときには40軒を数えるほどに隆盛したという。

若草山の麓を歩いていると古梅園の看板があるので、買う気もないのについ店に足を踏み入れてしまった。とても種類が多いことにまずびっくり。さらに昔学校で使っていたものとはちがい値段も相当良さそうである。
ここでもワゴンセールがあってキズありだというのが2,000〜3,000円台で売られている。墨なんていうものは摺ってしまえば皆同じなので、稽古用にはなんら差し支えはあるまい。書道をたしなむ家人用に買って帰ろうかとも思ったが、何しろ用途別に種類が多くてどれにしてよいやらさっぱり見当がつかないので、結局冷やかしのまま失礼することにした。
帰宅してからホームページを見てみたが、門外漢には結局墨というのは大変奥が深いということしか分からず仕舞いであった。

ところで、梛(なぎ)は熊野権現の御神木になっており、その葉は魔除け、お守りとして携行されていたそうである。梛の墨とは実から採れる油から作るものらしい。

もう一つ新知識。新宮市にある熊野速玉神社(小学校の時の修学旅行先)はその昔今のところより南にあったものを移したものだそうで、「新宮」。それが今の市名になっているそうである。御神木は平重盛のお手植えでもあるそうで、もし本当だとすれば樹齢1,000年程度になる。写真で見る限りでもたいそう立派な御神木のようだ。

今日は「奈良検定初級」の試験日なので予約投稿。こういう話もいろいろ受験対策になっているはずだが、さて。

氷面鏡

神鹿に御慶述べゆく句友かな

吟行句会でよくお世話になる奈良公園。

この日は放射冷却の厳しい朝だったが昼間は晴天、しかも風もほとんどないという絶好の吟行日和。霜解けの公園内のかしこで鹿が日向ぼっこしている。出会う鹿を見つけては「おめでとう」と声をかける仲間もいて、約1万歩の吟行も無事に完了。

それにしてもベテランの方々の言葉をよくご存じであること。この日は大仏殿東にある池も凍っていて、日の射している部分は解けているのだが、大きな杉の木の影になっている部分は凍ったままだ。この景をなんとかものにしたいと粘ってみるが、時間切れ。
披講となって、同じ光景を詠んだと思われる句が読み上げられてハッとさせられた。

大杉の陰に残りし氷面鏡

なるほどなあ、と眼から鱗の思いであった。

初句会

ハングルも英語の絵馬も初詣

絵馬を手にとって願意を読んでみた。

今日は近鉄奈良駅から東大寺二月堂、春日大社を巡る吟行初句会。誰々さんのお嫁さんになりたいという真剣(?)な願いもあれば、ガンが治癒しますようにとの切実な願いも。人さまざまな願いを込めたそれぞれの正月なのであろう。
なかには、ハングル語で書かれたものや英語のものも。

ともあれ、松の内は平穏に過ぎてゆく。

ツーショット

ボーイング飛び交ふ下のカイトかな

親子で凧揚げしているのはお正月風景にぴったり。

子供の頃は骨組みから紙張り、絵付けまですべて自前でやったもので、なかなかうまくいかなかったりして苦労したのも今となっては楽しい思い出だ。最近ではもっぱら西洋凧で、正月なら多分コンビニでも売っていると思うが、風さえあれば誰でも簡単に揚げられてしまい、バランスが悪くて凧がきりきり舞いしたり、地面に頭を打ち付けたまま引きずったりした昔とは大違いである。

今日の大和川河川敷は凧揚げにはおあつらえ向きの風。何組もの親子連れが凧をあげていた。このあたりは旅客機の飛行コースにあたっていて、1,000メートル以下の高度で飛ぶので機体が間近に見える。カメラを構えればボーイングと凧のツーショットなんて確実に撮れることうけあいである。

「カイト」はさすがに歳時記にはないだろうな。あえて「ボーイング」と対比させてみた。

献燈

年男その名を刻み献燈す

どこの寺院、神社でも献燈の石柱が立ち並んでいる。

大抵が講の名であったり、個人や会社の名前だったりするが、なかには年男・年女だと刻んで献燈する人もいる。

吉凶占い

初詣おみくじ結ぶ背伸びかな
背伸びして結ぶお神籤初詣
枝といふ枝に御籤の初詣

僕はおみくじの類いは買わない主義である。

ただ、おみくじを引いては吉だ凶だとはしゃいでいる人たちを見るのは悪くない。誰もがおみくじの中身を真剣に信じている人などいないだろうし、一種の遊びだと思うからである。
また、いろいろなご縁を願って境内の枝などに結んだりしているのも、合格や良縁を願ったりなどする人たちの気持ちが滲み出ていかにも正月風景らしくていい。

朝護孫子寺本堂でお詣りを済ませた人々が境内の木におみくじを結んでいる。そのうち一人だけ、小柄な老女が一生懸命椿の枝に結ぼうとして背伸びしているのが目に付いた。老女が届く範囲の枝にはすでにおみくじがびっしり結ばれているからだ。