痛風

常備薬切らしてしまい寝正月

ちょっと油断したら持病が出たので終日自宅で過ごす。

今宮戎の十日戎なので、宝恵駕籠行列でも観に行こうと予定していたのにがっかりだ。華やかな芸妓さんや、今年はマッサンのエリーさんも出るというので面白いと思ったのに。

掲句は直接このことと関係はないが、酒が切れたからふて寢しているのかもしれない。いずれにしても、今日あたり松を過ぎて最初の土曜日なので正月の疲れた胃を休めるためにも寝正月を決め込むにはいい。
あるいは、録りためたビデオなどを見るには格好の時間である。そこで、元日の朝やっていた京都御所紹介番組を見た。御所は昨年暮れに見学しただけにまだ記憶も新しくさらに見識を深めることができたのがよかった。

初夢見たか

順風の満帆にして宝船
宝船決まって風を背に受けて
宝船全長よりも帆の高き
帆の高く大きくはらみ宝船
宝船おのが宝はおのが持ち
どの港にて荷を積む宝船

「宝船」。こういう兼題が出されている。

正月2日の夜、宝船の絵を枕の下に入れて夢の吉凶を占うというのが江戸時代にブレークしたらしい。
絵を見てみると、七福さんが大きく描かれ、宝物も見られる。決まって順風のようで帆は大きく高く風をはらんでいる。じっと目を凝らしてみても櫓や水主たちの姿が見られないのも面白い。
サンタさんは寒い北の国からやって来るとされるが、宝船は一体どこから来てどこへ向かうのか謎である。

こんな呟きを繰り返しながら宝船の句を詠んでみた。

七草粥

粥柱卦にあるままの杓子にて

粥をよそう杓子である。

一般にはおたまと呼ばれている上品なものをさすと思うが、茶粥を食う習慣のある紀州では、木でできた大きくてやや浅い独特の杓子を使う。調べてみると今では奈良の五條あたりで細々と作られているようだが、この木でできているというのがいいのである。
大釜にぐらぐら煮立っている粥をかき混ぜたりするには、上品なおたまでは釜の底までは届かないので柄も幾分長めである。それに、鉄釜の底に沈んだわずかな米粒を持ち上げるように粥をすくうためには釜の底を傷つけない木製でなくてはならないのである。
最近は竈に掛けた大釜でお粥を炊く家など希だろうから、こうした紀州独特の茶粥用木杓子はさらに廃れていくのだろう。寂しい限りだ。

笹鳴きを聞く

松飾る路地に渋滞避けにけり

今年初めて穏やかな日和。

風もなく散歩していても汗ばむくらいだ。例によって馬見丘陵公園では、門をくぐったそうそう笹鳴きが聞かれ、蝋梅もちらほら、梅の蕾も間もなく動きそうな氣配すら見せていた。これから本格的な寒を迎えるわけだけど、下萌えもあったりして春の兆しを感じることができた。

帰途通った狭い道には立派な門松がしつらえてある旧家があって、昔からある旧道のようだと知れた。

明日は吟行初句会。雨模様だと予報は言う。寒いときの雨はきついかもしれない。

狭井神社のご神水

若水をペットボトルにさずかりぬ

元日に大神神社に参拝した際に狭井神社へ足を延ばした。

足を延ばすと言うのはちょっとオーバーで、実際は徒歩5分程度の摂社で大国主の荒御魂をお祀りしている。薬の神様としても知られていて参道には製薬会社寄進の献灯が並んでいる。また境内には「薬井戸」と呼ばれるご神水も湧いていてもちかえることもできる。
この日は参拝客でごった返しているので、ご神水とラベルに書かれたペットボトル入りのものをいただいてきた。一本百円也。生水だから早めに飲むようにとの但し書きがあるので、さっそくコーヒーに。幾分か丸い味になったような気がした。

様変り

初手帳妻の予定も併記して

スケジュール手帳は昔ながらの月間タイプである。

見開きのカレンダーでその月の予定が一覧できるのがいい。
ただ、現役時代のように一日にいくつも仕事スケジュールが入るわけではなく、一日せいぜい一個程度である。しかも、それが句会であったり吟行であったり、はたまた句会であれば兼題も添えてという具合に、まずは俳句会のスケジュールから埋まってゆく。
また、仕事用スケジュールと違うのは家人の予定が書き込まれるようになったことだ。たとえば、家人が友人などと遊ぶ予定も入る。その時は猫の世話を一人背負わなければいけないからである。

これを様変りというのだろうか。

賀状御礼出した

麗夫人これ見よがしの賀状かな

この歳になってツーショットの写真入り賀状をよこす人がいる。

今年はこういう賀状が二通も来た。今まで家族の写真などよこさない人たちなのに、それがたいした美人の奥さんだったりするのでなお驚かされる。デジカメが普及したり、携帯やスマホでも手軽に写真が撮れるようになって、撮影画像を簡単にパソコンで編集できるようになった背景があるにせよ、これはよほどの愛妻家であることは間違いないだろうし、偕老同穴よろしく最期まで添い遂げると宣言したようなものであろう。

僕には家人の写真を関係のない人に披露する勇気はないけど。