墨痕鮮やかに

講堂に高々掲げ書初す
書初のたかだか掲げ大講堂

年内にしっかり練習してきた文字をみんなに披露する。

体育館や講堂などに大人から子供たちらが集まる書き初め大会だ。
書き上げた半紙を保護者席に向けて高々掲げる子。
なかには「半切」と呼ばれる、子供の身長くらいもある本格的な書に挑む人もいる。

きちんと習っている子の作品を見ると、悪筆の私などには到底真似のできない立派なものだ。

勝浦の延縄マグロ

沖〆の眉目よき揚げて初の市

今日4日は初市の立つ日。

兜町は祝儀相場とは行かなかったようだが、この日勝浦漁港にかけられたクロマグロ、鬢長マグロの値段はまあまあだったようである。
まあまあと言っても、キロ七千円くらいなのでそれ相当のものだ。

南紀や伊勢では、一般にマグロのことを「しび」と呼び、食卓によくのったものである。
鈴鹿のある地区では、婚礼の引き出物としてまるまる一本のマグロをトロ箱に入れて届けられたこともあった。
全般に赤身がかっていて淡泊な味だったことを覚えているが、今思えばあれはキハダやビンチョウなどではなかったろうか。
今は、日本人の舌もずいぶん肥えてきて、トロなどサシの入った甘い身が人気だが、いいマグロとなると赤身だって馬鹿にはできないうまさがある。

マグロ初糶のニュースを見て、思い出したものがさらにもう一つある。
東京に住んでいた頃、横浜中央市場の近くで、中落ちマグロのランチがやたら安くて大変うまい店があるとかねてより聞いていて、一度も行かずじまいだったことだ。
この山国に来て、そのことがいよいよ惜しまれてくる。

いい夢を見ましょう

水先は勇魚の潮よ宝船

宝船を描いた絵を、二日の夜に枕の下に敷くといい初夢が見られるという。

黒潮躍る外洋の宝船だ。串本を巡って熊野灘へ出る。
太地にさしかかるころ、大きな尾びれがあらわれて潮を吹きながら伴走してくれる。
鯨は万葉の昔から日本人の暮らしと深く関わってきた。髭から尻尾まで命を大事に頂くことで、感謝や祈りを捧げながら共存してきたのである。
遊びのために狐を狩るような民族、取って終わりの採取・狩猟民族の末裔から、あれこれ難癖をつけられてはかなわない。

さて、その夢だが、毎晩見ているのは確実だけど、朝になると、さてどんな夢だったやら、さっぱり覚えていないことが多い。
脈絡のない夢だったり、卒検落ちたらどうしよとかの強迫追体験だの、夢に目覚めたときは確かな記憶があるのだが、起き出してしまえばすっかり忘れている。そもそも、夢は眠りの深い底で見るものではなく、白濁した浅い眠りのとき見るという性格からして、霊感ある身なら別として、実生活にはなんの関わりもないことである。精神科医師にとっては大事なみたてとなることがあるようだが。どんなに科学がすすんだところで、人間の脳の働きのメカニズムが完璧に明かされるということはないと思うのだ。
だから、ロボットには俳句は詠めないと断言しよう。

昨夜もきっと夢は見たはずなので、

初夢は夢のまた夢十億円

どうせなら、縁起のいい夢を見たことにしておこう。

熊野のサンマ、やーい。

食積の一段で足る暮らしかな

久しぶりの夫婦だけの正月。

洋食化、冷蔵庫など保存機器の発達、そして何より屠蘇一滴も飲めない夫婦とあらば、ここ数年重箱に詰めるほどの量や種類のお節などは作らないようになった。
それに味付けが随分薄くなったことも関係してようか、エビだの昆布巻だの味の濃いものはすっかり敬遠されて、用意されるのは、せいぜい、豆の煮たもの、田作り、酢の物、数の子、あとは蒲鉾などの練り物くらい。それも、およそ1、2食で食べきれる程度の量である。

元日の夕食となれば、もう茶粥とサンマ丸干し一本でさっぱりいきたくなってしまう。
ただ、今年はいつも頼みとしている干物屋の体調がわるいらしく、熊野の丸干し、生節が手に入らない。
こんな時勢だから、取り寄せの店は他にいくらでもありそうだが、これとて初めてのところでは、どんなものを食わせられるか分かったものではないし。そのうえ、やたら値段が高いのだという。
この店のものは、年末の贈答に使っても決して見劣りしない見事なものだけに、毎年楽しみにしてくれてる方面からは、どうしたの?と聞かれる始末。

この、庶民のやさしい味方・秋刀魚丸干しと、餅入り茶粥を食って初めて正月気分に浸れると言うに、今年は何と言うか、画竜点睛を欠くというか、なんとも締まらない正月ではある。
干物屋は歳も同じくらい。まだまだ寝込むような年代ではないのだから、早くカムバックしてくれないかな。

始まりのビュー

高見山ゆ瑞雲兆し初日出

明けましておめでとうございます。

先月30日、31日と、部屋からいい日の出が眺められました。
元日の朝も低い雲に遮られて高見山こそ見えませんが、素晴らしい日の出に出会えました。
よく晴れて空気が澄むと、夜明けが近づくとともに、三重県境にある高見山のシルエットがだんだんはっきりと浮かんできます。そして、日の出の時刻が近づくにつれ、光背がさすように山全体がさらに輝かしく見えてくるのです。
山に囲まれているので、気象庁発表の日の出時刻から遅れることわずか、高見山から陽が昇り始めると、さながら「ダイヤモンド高見」です。

こんな光景には自然と両手を合わせることになります。無事に朝を迎えられたことに感謝し、その日の無事を祈る。
そして目を転じて、音羽山、多武峰、吉野、大峯の数々、金剛、葛城の山々を眺めると、気持ちもすっかり目覚めます。
そんな朝が今年も続きますように。

今年のお節は格別。渓山さんに頂いた、大きくてしっかり実の詰まったプロ級丹波黒、家人がきれいに煮てくれて、たいそうおいしくいただきました。これで、今年もマメに黒々となるまで、いったい何しましょうか。

それでは、今年もみなさまのご健勝をお祈りしております。

小正月

餅花が迎ふ春日の土産店

餅花というのは小正月の棚などに飾るものだそうである。

最近は商家などでも店頭に飾るようであるが、必ずしも小正月に合わせているようでもない。一種の縁起物みたいな感覚であろうか。
掲句は、若草山に面する土産物屋の店頭に飾ってある景を詠んだものだが、正月らしく注連飾りもあったし、店内には杉玉もあったりしてちょっとどうなのかなとも思う一幕もあった。