身投げする

蛍烏賊ヘッドランプの灯も揺れて
大潮の渚満ち来る蛍烏賊
大潮の月なき夜の蛍烏賊
蛍烏賊すくう渚の月もなく
蛍烏賊渚ですくう闇夜かな

蛍烏賊の旬は5月連休までだという。

そのころに深みから浅瀬にやってきて産卵する頃が一番うまい。
これを、魚津などでは一般の人でもタモ網ですくうこともできるそうだ。
浅瀬にやってくるとき、なかには波打ち際にまで身投げしてしまうのがあって、これを網ですくうのである。タイミングとしては大潮の満潮時で、月明かりのないときである。
必ずしも毎回採れるわけではないそうだが、あの蛍烏賊の活きのいいのが自前で採れ、その場で食うことができるというのは、地元ならばこその遊びであろう。
都会では生の活きのいいのを食おうとすると、寿司屋,料亭とか一部の高級料理店に行くしかない。未明に獲った烏賊はストレスのため一日休ませて、翌朝のトラックで空気詰めにして築地などに運ばれる。したがって、今晩食ったものは昨日の朝に浜に上がったものだ。
そういう烏賊は一般家庭ではなかなか手に入らないので、本物の味を楽しむにはやはり現地に行くしかない。

宇陀の万葉

万葉の歌碑に佇み春惜しむ

宇陀の句会の日だ。

時間があるので会場付近を散策していると思わぬ場所に万葉歌碑があった。
ここ宇陀市だけで16個はあるという万葉歌碑の宝庫だから、すぐに歌碑にぶつかるのも当然と言えば当然か。
宇陀の万葉と言えばやはり人麻呂の、

東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
巻1-48

に代表されるが、「万葉の旅」(犬養孝)にも多く紹介されている。
宇陀市がなかなかいいホームページを公開しているので参考のために。
うだ 記紀・万葉

視線を横切る

紋黃蝶折れ線グラフ描くかに

ときどき蝶が飛んできては猫たちの興味を引いている。

猫だけではなく食卓にいる人間たちもつられて、目は蝶の動きを追っている。だが、紋白蝶や黄蝶の動きは早く、窓の左から右へ、右から左へ、まるで視線を横切るようにあっという間に消えてゆく。

駘蕩の気分

春風や雲たゆみなく駘蕩と

やっとこの時期の天気になった。

空は青く、白い雲がまるで煙突から吐き出された煙のように次々と南から湧いてくる。

春の大潮

春潮の根掛かり多き沈(しも)りかな

「沈り」とは沈み根のことである。

春の潮は満ち引きの差が大きいので、干潮時普段は見えない岩礁がこのときだけは頭を出すことがある。複雑な岩礁帯こそ魚が集まるポイントなので、その間を縫って仕掛けを投入するのだが、スペースがどうしても狭められるので「根掛かり」と言って仕掛けが岩礁に引っかかってしまう確率がどうしても高くなる。
無理して干潮時に釣らずとも満潮時にすればいいじゃないかというご指摘はごもっともだが、満潮時は満潮時で問題も多い。春の大潮時は気がつかずにいると、岩礁にひとり取り残されてしまうなどの危険性もあるのだ。

童心に

しゃぼん玉はしゃぎゐる声塀越しに
築地塀を越えて消えゆくしゃぼん玉

今どきのシャボン玉セットというのはよく飛ぶようだ。

立派な築地塀のある邸宅から、小さな子供たちのにぎやかな声とともにシャボン玉が泡のように次々と越えてくる。シャボン玉は風に乗って50メートル以上も飛んで、東大寺の境内にまで達している。
観光客もその飛んでくる方向をしきりに眺めては、互いに目を合わせて微笑み返し。
国を問わず、年齢を問わずシャボン玉というのは人の心をひきつけるものらしい。

和む音

鶯のほどよき距離のをちこちに

縄張りを張り合ってる声じゃないようだ。

適度な距離と時間ををおいて代わる代わるに鶯が啼いている。切羽詰まった感じではないので、聞いているこちらを和ませてくれるのがいい。
久しぶりにのんびりとした一日だった。